『みょうおうさん』と地元では呼ばれている大光院。映画『のぼうの城』で上地雄輔演じる石田三成の忍城(おしじょう)水攻めに対抗した野村萬斎演じる成田長親の菩提寺でもある。
目次
興國山大光院明王殿
所在地
名古屋市中区大須2-7-25
山号
興國山(現在)
日置山(元禄年間まで)
アクセス
名古屋市営地下鉄 名城線上前津駅もしくは鶴舞線大須観音駅から徒歩5分
駐車場は隣地にコインパーキングがありますが、毎月28日は縁日開催のため使用できません。
28日は公共交通機関で行くことをおすすめします。
由来
清洲越しまで
徳川家康の四男である松平忠吉が忍城から清須城に移ると、忍城の城下にあった忍清善寺の末寺として慶長8年(1603年)尾張国春日井郡清須に創建された。
その後松平忠吉が慶長12年(1607年)に没すると清善寺は忠吉の法名である大光院をとって寺号とした。
慶長15年(1610年)の清洲越しにて愛知郡日置村(現在の名古屋市中区大須2丁目)に移転。日置山大光院としていたが、元禄年間にもとの興國山大光院に戻した。
女性の病気に効果がある『みょうおうさん』
文化5年(1808年)に烏枢沙摩明王(ウスサマ明王)を祀る別殿として明王殿を建立。
烏枢沙摩明王(うすさま明王)
ウスサマ明王は古代インド神話において元の名を「ウッチュシュマ」あるいは「アグニ」と呼ばれた炎の神である。
「この世の一切の汚れを焼き尽くす」功徳をもち「昔お釈迦様に誓い、あらゆる不浄を清浄に化す神通力を備わった」ことから東司(お手洗い)の仏様とも言われている。今風に言えば「トイレの神様」ということとなる。
別の呼び名としては「下の神様」とも呼ばれている。下半身の諸病一切を除く大悲願を持った仏様でもあり、女性特有の病を治し願い事を叶える「女の仏様」ともいわれる。日頃から信心すれば年をとった時に下のお世話にならないとも言い伝えられている。
これら女性の病に御利益がある事は『尾張名所図会』に女性の参拝者が多く描かれていることからもわかる。
それと一般的に「アグニ」の呼び名はゲームのキャラクターにも採用されていて聞き覚えのある人もいるだろう。炎を使いこなす強敵のイメージが強い。
大須赤門通りの名前の由来
昭和9年(1934年)の区画整理の際、境内地に道路がつくられることとなった。この通りは大光院の山門が朱塗りであったために『赤門通り』と名付けられた。
今でも大須商店街には赤門通りとして賑わいをみせている。
この地域は御朱印を授与していただける寺院や神社が多数あるので歩き回ってほしい。
『のぼうの城』成田長親
豊臣勢からの水攻めで敗れて忍城を松平忠吉に明け渡したあと長親は、放浪の旅に出る。
しかし晩年、松平忠吉の配下となっていた長男・長季をたより尾張に身を寄せた。
松平忠吉は関ヶ原の合戦での武功により尾張に移封されていたことが縁で大光院が菩提寺となったという。
御朱印
受付時間は9時から17時が基本ではあるが、お昼の時間帯は寺務所が留守となるようだ。
平日も留守となる場合もあるそうだが、それは他のお寺や神社もよくある。
近くには大須観音、七寺、万松寺、三輪神社など御朱印をいただけるお寺や神社がたくさんある。全て歩いて回ることができるのでスマホ片手に歩いてみてください。
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