大宮浅間神社の創建は、天平元年(七二九年)二月に邇波県主の裔、道直の観請によって建立された。
初め山頂に鎮座したが、祭祀・参詣に不便であり山麓に遷された。当時神社内に、大日霊社を別に祀ってあったが、天正年中(一五七三年~一五九一年)に合祀された。
古くから、武将や名門の信仰が厚く、織田信長は社殿を造営寄進し、また、犬山城主の小笠原和泉守吉次からは、山林や田畑の寄進を受けた。さらに、徳川・成瀬の両家からも種々の神宝の奉納があり、毎年、国家安泰の祈願がなされた。
神社の御山は、駿河国の冨士山と型がよく似ているので「尾張冨士」と称し、本宮・中宮・奥宮に同神を祀り、一般の参拝に便利よくした。
また境内には、十八社の末社(神明社・熊野社・伊豆社・白山社・日吉社・鹿島社・三島社・箱根社・冨士浅間神壐社・釜岩社・日之御子社・中宮社・三輪社・八幡社・戸隠社・宗形社・大社・猿田彦社)が祀られている。
尾張冨士大宮浅間神社HPより引用
目次
尾張冨士大宮浅間神社
鎮座地
愛知県犬山市冨士山3
御祭神
- 木花開耶姫命
- 天照大神
御神徳
子どもの守護神として崇敬され、小児の虫封魔除、家内安全、開運厄除、交通安全、安産子授、学業向上の守り神である。
御朱印
尾張冨士
尾張三山の筆頭に挙げられる由緒ある山。海抜277メートルあり、形が駿河の富士山に似ているところから尾張冨士と親しまれている。
石上げ祭
毎年8月第1日曜日に行われるのが尾張三大奇祭のひとつである『石上げ祭』だ。
昔ある信者が尾張冨士へと登り参籠祈願した時、夢枕に木花開耶姫命が現れた。
御祭神である木花開耶姫命が隣の本宮山の方よりも尾張冨士がやや低いことを嘆き悲しんだ。そこで信者は、木曽川の清浄な石を拾い上げ山頂に積み上げた。
すると不思議にも願いが叶ったということです。そのことが村から村へと伝わり、相次いで大きな石を奉納して富貴長命、子孫繁栄、五穀豊穣を祈願したのが石上げ祭の始まりであると伝えられている。
初めは五郎丸村の若者が、次いで塔野他村、前原村、羽黒村の若者たちが相次いで献石をした。
約180年程前、江戸時代の天保7年(1836年)に起こった天保の大飢饉によって民が苦しんでいた。その翌年から石上げ祭は盛り上がりを見せ大正から昭和の前半にかけて最盛期を迎えた。
その頃には近隣各地の人たちが競って献石するようになっていた。
2種類の御朱印と尾張冨士登山
御朱印は尾張冨士の御朱印と参拝記念の御朱印の2種類がある。
尾張冨士に登っていくと奥の院がある。しかし軽い気持ちで参拝に行こうとするのならばやめておいた方が賢明だ。
石がむき出しの急斜面が続く山道を登ることになる。ハイキング気分でスニーカーなどで登るのは危険だ。
周りを見渡せば本格的な山登りの装いで来ている人が多い。いわゆる登山に行く装備だ。
なので、石上げ祭りがいかに過酷なお祭りかがわかるだろう。山登りに加え大きな石を抱えていくという過酷さだ。それでこそ願いが叶うというのだろう。
近隣の御朱印神社
石上げ祭りの起源となった尾張冨士と本宮山の背比べ。その本宮山の麓にあるのが大縣神社だ。
そのまま南に進んでいけば奇祭で有名な田縣神社もある。
北方面に進めば犬山城が見えてくる。城下町には多数の御朱印神社が鎮座しているので観光ついでに参拝にぜひ出かけよう。
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