古くは『津島牛頭天王社』と呼ばれ全国に三千社の分社を持つ歴史ある古社。ユネスコにも登録されている無形文化遺産の『尾張津島天王祭』が毎年7月にとりおこなわれる。
目次
津島神社
鎮座地
愛知県津島市神明町1
御祭神
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
相殿
大穴牟遅命(おおなむちのみこと・別称 大国主命)
社格
かつては国幣小社で、現在は神社本庁包括の別表神社となっている。
アクセス
名鉄津島駅から徒歩で約15分
津島駅から津島神社へ向かう道中にも御朱印を拝受できる寺院、神社が多数ある。
その中でも最近とても話題となっている神社がある。
三面御朱印で有名な『牛玉山観音寺』だ。
こちらの住職は元漫画家アシスタントという経歴をお持ちである。
御朱印帳の三面を使っての御朱印はとても言葉では言い表せないほどの凄さだ。
ただ、現在は三面御朱印の受付は停止しているようだ。
書置での御朱印は拝受できるようなので、気になる方はFacebookやtwitterでチェックしてみよう。
駐車場スペース
津島神社の南側から入ると駐車場スペースがかなりの台数分確保されている。
駅から歩くとその道すがらは古い町並みや他の寺院や神社が多数あるので、電車で行くのをオススメします。
御由緒
建速須佐之男命が半島から日本へと渡った時に荒魂は出雲国に鎮まり、和魂は西国対馬に鎮まった。
欽明天皇の時代(540年)に西国対馬から現在地に鎮座されたのが津島神社の始まりである。
古くは津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)といわれる。
津島信仰の総本社
この津島神社を中心とした東海地方に広がっている神道であり、スサノオと牛頭天王に対する信仰である。
尾張徳川家のお膝元である名古屋ではスサノオ、牛頭天王は『お天王さま』と呼ばれていた。
『津島代参講』と呼ばれる講をつくり代表者が津島神社に参拝して神札を受け講の構成員へと配布していた。
それが徐々に各町内へと津島神社を勧請して小さな祠を作るようになり、やがてそれが名古屋の古い町並みに未だ残る屋根神様信仰へと繋がっていった。
名古屋の各地では屋根神様を祀るお祭りである天王祭が今でも行われている。
各町内へと勧請された津島神社は東海地方を中心として全国に三千社のもの分社を持つほどになった。
その多くはかつては『牛頭天王社』『天王社』と称していたが、明治時代の神仏分離の際に津島牛頭天王社が津島神社と改称したのに合わせほとんどの分社も津島神社と改称した。
各地の天王祭
尾張津島天王祭はもちろん有名だが、名古屋市内の各地でも大正時代以前より続く伝統ある祭りとして有名である。
代表的なお祭り
- 筒井町天王祭(名古屋市東区)
- 出来町天王祭(名古屋市東区)
- 弁天通天王祭(名古屋市西区)
- 那古野神社天王祭(名古屋市中区)
- 大森天王祭(名古屋市守山区)
などが今でも当時のお祭りを続けている。
木瓜紋
スサノオ・牛頭天王の神紋は木瓜である。
なので津島神社を崇敬していた織田家も津島神社と同じく木瓜紋を家紋としていた。
重要文化財指定された建造物
津島神社楼門
天正19年(1591年)に豊臣秀吉により寄進
津島神社本殿
慶長10年(1605年)に松平忠吉の妻政子により寄進
津島神社南門
慶長3年(1598年)に豊臣秀頼により寄進
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