藩主を護る「隠密」たち:御土居下の秘術を操る忍者・広田増右衛門の真実






名古屋城には、城の存亡に関わる極秘の任務を帯びた「影の軍団」が存在しました。それが、城下の御土居下(おどいした)に住居を構えていた**御土居下御側組同心(おどいしたおそばぐみどうしん)**です。彼らの任務は、万一城が落城するような非常事態において、藩主を護衛し、秘密の脱出ルートを通じて安全に木曽路へ逃がすことでした。

この特殊な集団の中で、忍術の達人として異彩を放っていたのが、**広田増右衛門(ひろた ますえもん)**です。

驚愕の忍術エピソード

広田家が御土居下に居を移したのは宝暦6年(1756年)頃とされ、増右衛門はその家系から輩出されました。彼の残した逸話は、まるで物語の忍者のようです。

まず、彼の潜入術は驚くべきものでした。彼は「頭と肩が入る隙間があれば関節を外して自由に出入りした」と伝えられています。これは、人体の構造を超えた柔軟性と、極限の状況で自己を制御する能力を示しており、機密性の高い場所への侵入や、窮地からの脱出を可能にする術でした。

さらに、彼の軽身術や機動力も群を抜いていました。「手を伸ばした程度の高さであれば軽々と飛び越えた」という驚くべき跳躍力に加え、「鉤の付いた綱一本で林の中を枝から枝へ鳥のように飛び回った」という伝承は、彼が単なる武術家ではなく、まさに忍術の訓練を積んだ機動のスペシャリストであったことを示しています。非常時の迅速な偵察や、敵の追跡を振り切る上で、彼の技能は不可欠だったでしょう。

同時期に活躍した「異能」の藩士たち

この御土居下御側組同心という組織には、広田増右衛門のように突出した能力を持つ人物が他にもいました。

広田家と並んで最も有名なのが大海家(おおみやけ)です。特に4代目大海常右衛門(おおみや つねえもん)は、広田増右衛門とは対照的な怪力と武術の達人でした。身長約178cm、体重約90kgという堂々たる体躯を持ち、「人を乗せた駕籠を一人で担ぐことができる」ほどの怪力で知られています。彼は、藩主の非常時脱出に使われる**「忍籠(しのびかご)」の管理と運搬**という、力と信頼が求められる重要な任務を代々担っていました。

また、増右衛門よりやや後の時代には、市野天籟(いちの てんらい)という人物も活躍しました。彼は武術ではなく儒学や詩歌に優れ、**「御土居下の詩人」**と称されました。高度な教養を持つ彼らは、藩主の側近としての平時の務めや、機密文書の扱いなど、知的な面で組織を支えていたと考えられます。

広田増右衛門の卓越した忍術、大海常右衛門の超人的な体力、そして市野天籟の知性。これら多様な「異能」を持った藩士たちが連携することで、御土居下御側組同心は、尾張藩の「最後の切り札」として、江戸時代を通じて名古屋城の秘密を守り続けたのです。


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トヨタディーラーで10年営業マンを経験。 その後、現職である保険代理店へと転職。 ディーラーにいたからこそわかるお得な買い方を伝授します! 最近は神社仏閣めぐりに毎週のように出かけ、御朱印集めにはまってます。