1927年5月にリンドバーグは大西洋無着陸横断飛行に成功し、世界初の偉業を達成したと記憶されています
しかし実際にはリンドバーグの前に66人もの飛行士たちが大西洋を無着陸で横断飛行していたのです
では何故リンドバーグの横断飛行は人々の記憶に鮮明に残っているのでしょうか
目次
【単独】での大西洋無着陸横断飛行
リンドバーグが成し遂げたのは世界初の単独での大西洋無着陸横断飛行だったのです
彼の名が歴史に残ったのはニューヨーク⇄パリ間という当時の大都会間を横断したということで話題になったという理由です
大西洋横断飛行での第一号はリンドバーグよりも8年前の1919年にジョン・オルコック(イギリス)とホイットン・ブラウン(アメリカ)の2人によって成し遂げられていた
しかし2人はセントジョーンズ島からアイルランドのクリフデンまでの2380キロを飛行ルートとしていた
パリに着陸するのとアイルランドに着陸するのでは話題性は大きく違うことが後世に名を残すかどうかのボーダーラインとなったのではなかろうか
単独飛行の裏事情
当時、ニューヨークパリ間の飛行を成し遂げたものにはオルティーグ賞として25,000ドルの賞金がかけられていた
リンドバーグの他にも何組かがオルティーグ賞へと挑戦をしていた
しかしリンドバーグは資金難から望んでいた機体よりも性能の低い機体しか調達できなかった上に、バックアップ操縦士を用意することもできなかった
33時間もの飛行中に眠気に耐え操縦をしなければならなかったが、資金難のおかげで単独飛行に挑戦することになり結果的に後世に名を残すことになる
リンドバーグの来日
1931年にはリンドバーグは夫婦で来日することにもなる
パンアメリカン航空の航路調査の依頼でニューヨークからカナダ、アラスカを経て日本を通り中華人民共和国までを飛行していった
日本では国後島、根室、霞ヶ浦、大阪、福岡に滞在していったという
その後のリンドバーグはあまり知られてはいないが人工心臓の開発の研究に打ち込み、現在の心臓人工弁の開発にも影響をあたえている
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