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放課
一般的に「放課」とは1日の授業が全て終わることを言い、したがって授業が全て終わった後のことを「放課後」と言うのである。
ところが名古屋では授業と授業の間の休み時間のことを「放課」と言う。
さらには丁寧にも「1時間目の放課」、「2時間目の放課」、「昼放課」と休み時間全てに『放課』の名がつく。
名古屋人からすれば『放課』以外の表現方法が見当たらないほど、馴染んでいるネーミングである。一般的には『休み時間』と言っているそうだが。
名古屋から他府県へ出たときにカルチャーショックを受ける方言ナンバーワンが『放課』ではないだろうか。
放課後
『放課後』という響きもドラマなどではよく聞くので知っていたが、『放課』(休み時間)の後という意味で全ての授業と全ての休み時間が終わった後、という意味だと漠然と思っていた。
まさか他の地域では『放課』という言葉が授業後という意味を持つとは知らなかった。
大人になってよその地域から名古屋に来た人と話していても『放課』(休み時間)は標準語だと信じて疑わなかった。
学校内での方言
『エビフリャー』や『どえりゃー』など誇張した名古屋弁は名古屋独自の方言というのは名古屋に住んでいてもさすがに知っている。
しかし子供の頃に通った学校での名称は全国共通だと思っていた。
初めて『放課』が名古屋弁と知らされた時の衝撃はハンパなかった。ほかにどんな言い方があるのかサッパリ分からなかった。
ほかにも『机をつる』や『鉛筆をトキントキンに削る』など、標準語だと思っていた言葉は沢山ある。
標準語
標準語での表現はよく考えみたら東京弁という東京地方の言い回しであると思う。
関西弁は漫才ブームもあり市民権を得ている。
学校内での独特の表現は各地方ごとに異なっているとは思うが、なぜ文科省などの管轄がありそれぞれの教育委員会があるのにこれほどまでにちがう言葉が広まっていくのか、とても興味深い。
東京弁でもある標準語
もともと江戸という場所は徳川家康が幕府を開いたときに都市としての役割が始まった。
当然、徳川家康の生まれ故郷である愛知県岡崎市を中心とした三河地方からもたくさんの人が移り住んだだろう。
加藤清正、蜂須賀小六、前田利家など名古屋を中心とした尾張地方出身の武将が藩主として全国に勢力を広げているはずだ。
そんな中、なぜ名古屋弁や三河弁が標準語として広まらなかったのか?
なぜもともと誰も住んでいなかった関東地方に標準語としての東京弁が定着したのか?
あらゆる言葉が混ざったものが標準語
推測するに名古屋弁や三河弁、大阪弁や京都弁、九州や東北の言葉もいろいろ混ざり合ってできたのが江戸言葉ではないだろうか?
いろいろな方言が混ざり合って話しやすい、また聞き取りやすい言葉だけが淘汰されて残っていったのではないだろうか?
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