伊賀忍者の系譜・尾張忍者【広田増右衛門】名古屋城の石垣を軽々と登る技を持つ男
石垣登りの天才、広田流忍術広田増右衛門とは?名古屋城下に存在した御土居下同心屋敷の18軒のサムライたち。その中に忍者が隠れ住んでいた。
石垣登りの天才、広田流忍術広田増右衛門とは?名古屋城下に存在した御土居下同心屋敷の18軒のサムライたち。その中に忍者が隠れ住んでいた。
名古屋城のすぐそばに藩主の脱出ルートが存在した。そのルートを守るためだけに18軒の尾張忍者が確かにいたという。
新型肺炎の影響で名古屋の主要施設も入場禁止措置が取られている。名古屋城の本丸御殿も3月15日まで内部観覧が取りやめとなっている。
石垣保全で揉めている名古屋城木造復元化工事。ついに2028年秋完成という再々検討案が打ちだされることとなった。
名古屋城のお堀 名古屋城のお堀は本丸の北側と西側が水堀、南側と東側が空堀となっているのが特徴。南側には武家屋敷が立ち並び、本町通りを通り熱田神宮まで城下町が続いていた。 北側にある水堀は仮想敵は北から攻めてくると想定して…
名古屋城築城以前からある榧の木 1609年(慶長14年)築城の名古屋城。その天守閣よりもさらに200年前から生えているカヤの木。 実に樹齢600年と伝わっている。 尾張藩初代藩主徳川義直公が大阪冬の陣へ出陣するときになっ…
明治維新の直後、尾張藩の手を離れた名古屋城。天守閣の金のしゃちほこが降ろされウィーン万国博覧会で展示されていた。
名古屋城の西北隅櫓。いわゆる旧清洲城ではないかと言われている建物。別名清洲櫓。名古屋城の北西角に古材を使って建てられている為、清洲城を移築したものではないかと言われている。 名古屋城北西の角に…
名古屋城の建物で空襲で燃えなかったもののひとつ。 乃木倉庫 名古屋城築城当時の物ではなく、明治時代に名古屋鎮台と呼ばれていた陸軍歩兵第6連隊が置かれていた時の火薬庫。 乃木希典将軍がいた頃に作られたのが名前の由来。明治5…
木造での建て替えの前に名古屋城の石垣部会という所の調査が入っている。 これが結構予定よりも遅れているそうだ。 このままだと尾張名古屋は城でもつって言ってても城が無い。 でも石垣の調査が終わらないと取り壊しも…