名古屋城

名古屋の歴史

尾張弓術の系譜:日置流竹林派と通し矢の「天下一」(完結編)

名古屋の地名に秘められた、江戸時代の熱き武士の物語を知っていますか?
尾張藩の弓術は、僧侶であった日置流竹林派の祖「竹林坊」によってもたらされ、庄内川の河原で鍛錬を積んだ弓士たちに受け継がれました。
その頂点に立ったのが、二度にわたり三十三間堂の通し矢で天下一となった名手「星野勘左衛門」です。彼の猛特訓の場となった場所こそ、現在の「矢場町」の名の由来。その地にある三輪神社には、今も「矢場跡」の石碑と、心を和ませる「幸せのなでうさぎ」が並び立っています。
藩の威信をかけた激闘、そして敵を助けた勘左衛門の武士の道義。武の歴史が息づく名古屋の街を、少し違った視点で歩いてみませんか?

名古屋の歴史

幕末の悲劇と再生:尾張徳川家と北海道八雲町の知られざる絆

幕末の悲劇と再生:尾張徳川家と北海道八雲町の知られざる絆
徳川御三家筆頭・尾張藩主、徳川慶勝の生涯は、一族と藩の存亡をかけた苦渋の決断に満ちていました。最後の将軍・慶喜との複雑な関係、そして新政府から突きつけられた**「姦徒誅戮(ちゅうりく)」**の勅命。
慶応四年(1868年)正月に断行された血の粛清、青松葉事件は、尾張藩の進路を勤王へと確定させましたが、その代償はあまりにも重いものでした。この事件で路頭に迷った旧家臣団のため、慶勝は己の政治的責務を果たすべく、遠く北の大地、北海道八雲町への壮大な士族開拓を決意します。
藩主の苦悩と旧武士の再生の物語—**「冬の派閥」**の核心に迫ります。

クルマの雑学

往年の名車から最新鋭マシンまで!ラリージャパンの熱気が名城公園を彩る

名城公園で開催されたラリージャパン関連イベントでは、WRCの歴史を彩る貴重なラリーカーが展示されました。
トヨタの国際ラリー挑戦の初期を支えた1970年代のセリカ、1990年代WRCの顔であるカストロールカラーのセリカ GT-FOUR (ST205型)、そして「ラリーの女王」と呼ばれる伝説の**LANCIA DELTA HF Integrale(マルティニカラー)**などが一堂に会しました。
さらに、DATSUN 240ZやPORSCHE 911/356、RENAULT 8 Gordiniといった往年の名車も展示され、訪れたファンは、名古屋市の中心部でWRCの熱気と歴史を肌で感じることができました。これは、ラリージャパンの熱狂が競技会場以外にも広がっていることを示す貴重な機会となりました。

名古屋の歴史

秘された300年の密命:名古屋城を護った「尾張忍者」御土居下御側組同心の真実

尾張藩の歴史の裏側には、最高機密を300年間守り続けた影の存在がいました。それが「御土居下御側組同心」です。
彼らは表向きは側近武士、その実態は、落城時に藩主を極秘裏に脱出させる一子相伝の「尾張忍者」集団でした。柔術や忍術の達人を輩出し、極秘の「忍駕籠」を保管。さらに、脱出ルートの中継点だった「竹長押茶屋」は現在も弥富市に現存しています。
誰も知ることのなかった、藩主の命を背負った18軒の侍屋敷と、その壮絶な使命に迫ります。