日本一裕福な村が挑む「土地がない」という矛盾:飛島村の歴史と未来






愛知県に位置する飛島村は、その潤沢な財政で知られ、「日本一裕福な村」として度々メディアに取り上げられます。しかし、この村には「転居したいのに宅地がない」という深刻な矛盾が存在します。この矛盾を理解するには、江戸時代の開拓者津金文左衛門の功績から、現在の渚地区および旧中学校跡地の宅地化への挑戦に至る、村の特異な歴史を知る必要があります。

🌊 飛島村のルーツ:津金文左衛門による海からの創生

飛島村の土地の起源は、自然発生ではなく、人間の手による大規模な干拓事業にあります。

江戸時代後期、尾張藩の財政難を救うため、藩士の津金文左衛門胤臣(つがね ぶんざえもん たねおみ)(1727年・名古屋生まれ)が立ち上がりました。彼は大目付などの要職を歴任し、瀬戸焼の磁器の基礎を築くなど多才な人物です。津金氏が1801年に完成させた飛島新田は、文字通り伊勢湾の干潟を陸地に変えた難工事の結晶であり、現在の飛島村の基礎を築きました。彼は郷土の生みの親として、今も村内で大切に顕彰されています。

津金氏が命がけで開拓したのは、食糧を生産するための農地であり、これが村の歴史における第一の時代です。

💰 財政力トップの裏側:高まる転居需要と構造的な土地不足

津金氏が拓いた農地は、戦後の名古屋港の発展に伴い、南部が臨海工業地帯へと変貌します。ここに集積した大企業からの固定資産税が村の税収の約7割を占め、飛島村を全国トップの財政力を持つ自治体に押し上げました。

この潤沢な財源は、村民の「幸せ指数」を高める手厚いサービスとして還元されています。例えば、18歳までの医療費無料や、中学生全員を対象とした海外研修など、全国でも類を見ない充実した支援があり、子育て世帯にとって非常に魅力的です。その結果、飛島村は子供の割合(年少人口割合)も全国平均より高い水準を維持しています。

しかし、ここに矛盾が生じます。

• 転居希望者は多いものの、村域の大部分が市街化調整区域に指定されているため、原則として新たな宅地造成や住宅建設ができません。

• 工業地帯を除く住宅地は非常に限られており、構造的に恒常的な土地不足に陥っています。中日新聞でも、この市街化調整区域ばかりで宅地にする土地がないという状況が報じられました。

🏡 未来への挑戦:公共用地を宅地に変える村の戦略

この「住みたいのに住めない」という矛盾を解決するため、飛島村は都市計画の制限を乗り越える特例的な措置を実行しています。

村は、利用されなくなった公共用地を最大限活用し、若い世代の定住を促すための宅地供給を加速させています。その中心となるのが、以下のプロジェクトです。

1. 渚地区の整備: 旧飛島東小学校跡地などを活用し、市街化調整区域内の特例である地区計画を設定して住宅地を造成しました。

2. 旧中学校跡地の活用: さらに、竹之郷地区にある旧中学校の野球場跡地など、閉鎖された学校施設も宅地造成に回す計画が進行中です。

この取り組みは、津金氏が土地を創ったように、村が自ら住宅地を創り出すという、未来への挑戦です。ただし、この貴重な宅地は、村の人口維持戦略に基づき、「村への定住義務」などの厳しい応募・居住要件が設けられており、誰でも自由に転入できるわけではありません。

飛島村の物語は、江戸時代の開拓者精神が、現代の豊かな財政と、未来の人口維持という課題に繋がっていることを示しています。


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トヨタディーラーで10年営業マンを経験。 その後、現職である保険代理店へと転職。 ディーラーにいたからこそわかるお得な買い方を伝授します! 最近は神社仏閣めぐりに毎週のように出かけ、御朱印集めにはまってます。