【400年枯れない謎を解け】忍者藩士・森島佐兵衛が潜った!名古屋城「薬研堀」と「冷水の泉」の真実






1. 名古屋城の防御を担う「水と空の濠」

名古屋城の防御網は、水の要塞と乾いた防壁の組み合わせで構築されています。

• 水堀(水濠): 本丸の北側と西側に設けられています。これは、主要な仮想敵は北から攻めてくると想定し、強固な防御が必要であったことを示しています。

• 空堀(乾濠): 本丸の南側と東側に設けられています。南側は城下町や武家屋敷が広がり、本町通りを通じて熱田神宮まで続く重要な区画でした。

このうち、水堀の役割は極めて重要です。築城以来、どんなに厳しい猛暑に見舞われても、水堀の水が干上がったことは一度もないとされており、この「不枯(かれざる)の濠」の秘密こそが、名古屋城最大の謎の一つでした。

2. 水位の逆転現象:堀川と濠の関係

名古屋城の近くには、江戸時代に物流などのために開削された**人工河川「堀川」**が流れており、城の北西部を守る役割も担っていました。

堀川とお堀は、西区樋ノ口町にある辰ノ口水道跡や北西角の取水口で繋がっていた遺構が確認されています。しかし、ここで一つの驚くべき現象が起こっています。

• お堀の水位 > 堀川の水位

つまり、堀川からお堀に水が供給されるのではなく、逆にお堀の水が絶えず堀川に流れ込んでいるのです。この事実は、お堀が外部の河川に頼らず、常に満水状態を保つ独立した水源を持っていることを示しています。

3. 極秘の潜水調査:森島佐兵衛の功績

お堀の水が尽きることのない謎を解明するため、江戸時代に極秘の調査が実施されました。

藩主の勅命と密命

文政8年(1825年)9月、尾張藩10代藩主 徳川斉朝(なりとも)は、森島左兵衛という藩士に、築城以来初めてとなるお堀への潜水調査を命じました。

この調査は、軍事機密であるお堀の深さや水底の状態を探るため、「お堀に群生する菱の実を採取する」という名目で、斉朝の新御殿(名古屋城の北側にあった住居)から鑑賞するという形式でお忍びの極秘裏に行われました。

水術・忍術の達人 森島左兵衛

森島左兵衛(森島家8代目)は、御土居下御側組同心という特殊部隊に所属する家柄の人物です。この御土居下衆は、水泳や忍術など、あらゆる分野の特殊技能を一子相伝で受け継ぎ、藩主を守る任務を遂行するエリート集団でした。

特に森島左兵衛は、幼少の頃から水泳に長けた水術の達人でした。

命がけの1ヶ月調査

森島左兵衛による潜水調査は1ヶ月間にわたり行われました。過酷を極めた調査の末、森島は落命寸前で生還し、調査後には潜水病にかかり、回復まで6ヶ月もの静養を要したと『御土居下雑記』に記録されています。

4. 薬研堀構造と「冷水の泉」の発見

軍事機密であった調査結果は公には残りませんでしたが、森島左兵衛は晩年、隠居の身になって初めて、お堀の内部の様子を同心仲間に語り伝えました。

過酷な水底の証言

森島左兵衛の証言は、お堀の過酷な実態を物語っています。

• 深さの不均一さ: 深さが一定せず、深い場所は水中が暗く視界がなかった。

• 泥と倒木: 浅い場所には倒木が横たわり、その間に泥が深く堆積し、足を踏み入れれば体まで埋まるほど危険であった。

• 泉のような流れ: 「お堀の底の水は非常に冷たく、水は下より上に昇るように流れができていて、まるで泉のようでもある」

薬研堀(やけんぼり)の秘密

名古屋城の水堀は、敵からの侵入を防ぐため、通常の箱堀の底をさらにV字形に深く掘り下げた**「薬研堀(やけんぼり)」**という特殊な構造を持っていました。

特に重要な防御地点である以下の3ヶ所は、通常の箱堀の底(江戸時代で深さ約6.4m)から、さらに約7.3mも深く掘り下げられていました。

1. 御深井大濠、西之丸の月見櫓の下一帯

2. 御深井丸の西北隅櫓の真下一帯

3. 御城東北隅、御深井御庭に渡る一帯の濠

森島佐兵衛は、この薬研堀の底が「泥の中にあるに等しく視界が悪く、かつ冷水が噴出している」と述べており、底部を極めることが困難であったことを示しています。

5. 不枯の濠の真実:湧水こそが水源

森島佐兵衛が命がけで発見した**「冷水が下から湧き上がっている」**という証言こそが、「不枯の濠」の最大の秘密を解き明かす鍵でした。

• 名古屋城のお堀が枯れないのは、人工的な水路(御用水)や雨水だけでなく、薬研堀の底から泉のように絶えず地下水が湧き出ているためです。

• この湧水は非常に豊富で、太平洋戦争末期の食糧難の際、魚を捕るために水を抜こうとしたときも、薬研堀の底から噴き出す水のため、お堀の水を完全に抜くことは不可能だったという逸話が残されています。

このように、名古屋城のお堀は、熱田台地の巨大な伏流水などの自然の湧水を薬研堀という巧妙な軍事構造によって閉じ込めることで、築城以来400年以上、決して尽きることのない水量を保ち続けているのです。


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トヨタディーラーで10年営業マンを経験。 その後、現職である保険代理店へと転職。 ディーラーにいたからこそわかるお得な買い方を伝授します! 最近は神社仏閣めぐりに毎週のように出かけ、御朱印集めにはまってます。