歴史

名古屋の話

殿様もスキャンダルも! 元禄のすべてを綴った赤裸々な日記『鸚鵡籠中記』

元禄のすべてが詰まった「禁断の日記」をご存知ですか?
尾張藩の御畳奉行・朝日文左衛門が34年間書き続けた『鸚鵡籠中記』は、真面目な武士像を覆す、赤裸々な歴史の記録です。
酒好きで多趣味、芝居に夢中で刀身を盗まれるなど、人間味あふれる文左衛門の日常はもちろん、当時の藩主やその生母のスキャンダル、庶民が経験した心中事件や物価高まで、公には語られなかった「生きた世相」が詳細に綴られています。
約250年間も封印された、江戸時代の最高のゴシップ集にして、貴重な社会史料。タイムカプセルを開けて、元禄名古屋のリアルな日常を覗いてみませんか?

名古屋の歴史

尾張弓術の系譜:日置流竹林派と通し矢の「天下一」(完結編)

名古屋の地名に秘められた、江戸時代の熱き武士の物語を知っていますか?
尾張藩の弓術は、僧侶であった日置流竹林派の祖「竹林坊」によってもたらされ、庄内川の河原で鍛錬を積んだ弓士たちに受け継がれました。
その頂点に立ったのが、二度にわたり三十三間堂の通し矢で天下一となった名手「星野勘左衛門」です。彼の猛特訓の場となった場所こそ、現在の「矢場町」の名の由来。その地にある三輪神社には、今も「矢場跡」の石碑と、心を和ませる「幸せのなでうさぎ」が並び立っています。
藩の威信をかけた激闘、そして敵を助けた勘左衛門の武士の道義。武の歴史が息づく名古屋の街を、少し違った視点で歩いてみませんか?

名古屋の歴史

幕末の悲劇と再生:尾張徳川家と北海道八雲町の知られざる絆

幕末の悲劇と再生:尾張徳川家と北海道八雲町の知られざる絆
徳川御三家筆頭・尾張藩主、徳川慶勝の生涯は、一族と藩の存亡をかけた苦渋の決断に満ちていました。最後の将軍・慶喜との複雑な関係、そして新政府から突きつけられた**「姦徒誅戮(ちゅうりく)」**の勅命。
慶応四年(1868年)正月に断行された血の粛清、青松葉事件は、尾張藩の進路を勤王へと確定させましたが、その代償はあまりにも重いものでした。この事件で路頭に迷った旧家臣団のため、慶勝は己の政治的責務を果たすべく、遠く北の大地、北海道八雲町への壮大な士族開拓を決意します。
藩主の苦悩と旧武士の再生の物語—**「冬の派閥」**の核心に迫ります。

歴史

【歴史の謎】真田幸村は生きていた? 秀頼・国松を導いた「薩摩落ち」伝説の真実

大坂夏の陣で真田幸村は討死したはず。しかし京で流行したわらべ唄が示唆する「薩摩落ち」伝説とは?真田家の家紋を持つ九州の「真江田家」、そして秀頼の子・国松を匿ったとされる「木下家」の秘話から、豊臣家の血筋は本当に途絶えたのか、歴史の謎を深掘りします。

ナゴヤ名所

名古屋の「100メーター道路」を徹底解説!地元民が愛する呼び名と魅力の変遷

名古屋の街を南北に貫くメインストリート「久屋大通」と「若宮大通」。地元民が親しみを込めて「100メーター道路」と呼ぶ、このユニークな道の秘密を知っていますか?
この名称は、戦後復興のシンボルとして、防火帯の役割を担いながら幅員100メートルで設計された壮大な歴史に由来します。そして今、久屋大通公園は「Hisaya-odori Park」として水と緑が融合した最先端の複合施設に進化! 華やかな現代の魅力と、壮大な歴史が交差する名古屋のシンボルを、名古屋弁の呼び名も交えてご紹介します。

名古屋の歴史

なぜ名古屋から生まれた? 伝説の戦闘機「零戦」と設計者・堀越二郎の物語

伝説の戦闘機「零戦」が名古屋で開発されたことはご存知ですか? 三菱重工業で堀越二郎技師が実現した徹底的な軽量化の秘密と、試作機を運んだ牛車の秘話、そして軍需都市として空襲の標的となった名古屋の歴史を深掘りします。現在の名古屋に残る零戦の遺産と、平和への継承に迫ります。

クルマの雑学

往年の名車から最新鋭マシンまで!ラリージャパンの熱気が名城公園を彩る

名城公園で開催されたラリージャパン関連イベントでは、WRCの歴史を彩る貴重なラリーカーが展示されました。
トヨタの国際ラリー挑戦の初期を支えた1970年代のセリカ、1990年代WRCの顔であるカストロールカラーのセリカ GT-FOUR (ST205型)、そして「ラリーの女王」と呼ばれる伝説の**LANCIA DELTA HF Integrale(マルティニカラー)**などが一堂に会しました。
さらに、DATSUN 240ZやPORSCHE 911/356、RENAULT 8 Gordiniといった往年の名車も展示され、訪れたファンは、名古屋市の中心部でWRCの熱気と歴史を肌で感じることができました。これは、ラリージャパンの熱狂が競技会場以外にも広がっていることを示す貴重な機会となりました。

歴史

【歴史ミステリー】大塩平八郎は生きていた!?~壮絶な自決の裏に隠された「ヨーロッパ逃亡説」の真相~

「大塩平八郎は生きていた?」 天保の時代から続くこの歴史の謎。幕府への抵抗の象徴となった大塩の最期は、自らの手による壮絶な爆死でした。しかし、遺体の不詳と、薩摩や清国を経由してヨーロッパに渡ったとする驚愕の逃亡説が存在します。当時の民衆が、なぜ英雄の生存を強く願ったのか、その背景にある社会の不信に光を当てます。

名古屋の歴史

秘された300年の密命:名古屋城を護った「尾張忍者」御土居下御側組同心の真実

尾張藩の歴史の裏側には、最高機密を300年間守り続けた影の存在がいました。それが「御土居下御側組同心」です。
彼らは表向きは側近武士、その実態は、落城時に藩主を極秘裏に脱出させる一子相伝の「尾張忍者」集団でした。柔術や忍術の達人を輩出し、極秘の「忍駕籠」を保管。さらに、脱出ルートの中継点だった「竹長押茶屋」は現在も弥富市に現存しています。
誰も知ることのなかった、藩主の命を背負った18軒の侍屋敷と、その壮絶な使命に迫ります。

ナゴヤ名所

【完全解説】名古屋の難読地名「新瑞橋(あらたまばし)」!合成地名の秘密と驚きの由来とは?

名古屋の難読地名「新瑞橋(あらたまばし)」はなぜそう読む?実は、二つの村の名を組み合わせた合成地名だった!「新屋敷村」と「瑞穂村」から生まれた地名の秘密と、ネーミングに込められた先人の驚きのセンスを解説。戦後初の永久橋の歴史、山崎川の桜、そして悲劇の伝説が結ぶ**「枇杷島」**との繋がりまで、新瑞橋の知られざる魅力を徹底紹介します。地元民も知らないトリビアをチェック!