殿様もスキャンダルも! 元禄のすべてを綴った赤裸々な日記『鸚鵡籠中記』






「江戸時代の武士は真面目で質実剛健だった」――そんなイメージを根底から覆す、とんでもない日記が名古屋に存在します。

尾張藩士・**朝日文左衛門 重章(あさひ ぶんざえもん しげあき)**が、貞享元年(1684年)から亡くなる直前まで、およそ34年間にわたりほぼ毎日書き綴った、その名も『鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)』です。

公的な記録には残らない、元禄時代の名古屋の「生」の姿。文左衛門の筆まめな記録は、まるで籠の中のオウムが、見たこと聞いたことをそのまま繰り返すように、当時のすべてを赤裸々に伝えています。

1. 「武士」のイメージを覆す、文左衛門の私生活

朝日文左衛門は、尾張藩の「御畳奉行(おたたみぶぎょう)」という、今でいう公務員でした。知行100石の中級武士でしたが、彼の日常は「質実剛健」とは程遠いものでした。

「予、昨夜、酒過ぎ、且つ食傷(食あたり)の気味なり。心神、例ならず、今朝二度吐逆す」

酒を大いに好み、深酒の失敗も頻繁に日記に記録しています。しかし、その日反省しても、翌日にはまた飲みに出かけるという、全く懲りない酒好きでした。

さらに、彼は芝居見物、博打(賭博)、そして女性をこよなく愛する多趣味な人物でした。芝居に夢中になるあまり、あろうことか、腰に差していた脇差の刀身をすり盗られて、鞘だけを差して帰宅したという、なんとも締まりのない逸話まで残されています。

また、武芸に関しても「弓術、鉄砲術、剣術(円明流)に病みつきになって入門する」という熱狂的な一面がありましたが、熱が冷めるのも早く、その「入門癖」もまた彼の人間臭い魅力の一つです。

2. 藩主さえも容赦しない、ゴシップ記事の宝庫

『鸚鵡籠中記』が江戸時代に長く公開されなかった最大の理由。それは、日記が尾張藩の**「トップシークレット」と、時のスキャンダル**を容赦なく記録していたからです。

文左衛門は、藩主である**徳川吉通(とくがわよしみち)の「大酒による愚行」や、その生母である本寿院(ほんじゅいん)**の「好色絶倫な乱行」といった、絶対に公にできない藩の醜聞を詳細に書き記しました。現代でいう週刊誌のようなゴシップが、当事者の日記に残されていたのですから、その内容はまさに禁断の書でした。

3. 当時の庶民の「生」の記録

権力者への批判だけでなく、文左衛門は市井の出来事にも旺盛な好奇心を示しました。

• 心中事件のレポート: 当時流行した心中事件について、男女の名前、事件の経緯、結末に至るまで、まるで新聞記者顔負けの詳細さで記録しています。

• 物価高への嘆き: 幕府による酒税(運上)の増税により、「酒一升が百文ずつになる」という記事を、酒好きとして嘆きの念を込めて記録しています。

• 社会の混乱: 「米の値段が10倍に上がった」「賭博に興じる者が多い。今日は何人捕まった」など、当時の不安定な世情や社会の混乱も克明に記録し、現代の研究者が元禄時代を理解するための貴重な史料となっています。

朝日文左衛門の『鸚鵡籠中記』は、彼自身の人間的な弱さや滑稽なエピソードも含めて、尾張藩という「籠の中」で見た、江戸中期の世相を鮮やかに映し出す、比類なきタイムカプセルなのです。この日記のおかげで、私たちは歴史の教科書では学べない、生身の元禄時代を体験することができるのです。


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トヨタディーラーで10年営業マンを経験。 その後、現職である保険代理店へと転職。 ディーラーにいたからこそわかるお得な買い方を伝授します! 最近は神社仏閣めぐりに毎週のように出かけ、御朱印集めにはまってます。