【故豊田英二氏の故郷を訪ねて】実は名古屋ゆかりの人だった






西春日井郡金城村大字名古屋梅林(現在の名古屋市西区堀端町)が豊田英二氏の生まれ故郷である。

目次

豊田英二氏とは

トヨタ自動車工業株式会社第5代社長であり、トヨタ自動車株式会社初代会長である。

カローラを世界的ヒットに導き、ゼネラルモータースに次いで世界第2位の販売台数までトヨタを大きくした。

「トヨタ中興の祖」と呼ばれる。

2013年没。

生まれ故郷

写真の名古屋城天守閣の奥が豊田英二の生まれた西春日井郡金城村大字名古屋梅林(現在の名古屋市西区堀端町)である。

江戸時代には尾張藩10代藩主徳川斉朝の住居として新御殿があった場所でもある。

大正2年(1913年)西春日井郡金城村大字名古屋梅林にて豊田平吉の子として生まれる。

ここは現在の名古屋市西区堀端町である。

名古屋城の北側に位置し、町のとなりにはかつては陸軍の練兵場であった名城公園がある。

明治時代末から大正時代にかけて堀川沿いの金城村には数軒の織布工場や染色工場ができた。

そのうちのひとつの工場が豊田英二の生まれ故郷だ。

繊維が有名な地域

平成の始めの頃までこの名古屋市西区堀端町には大きな染色工場があった。

また、堀川沿いには今も何軒か染色工場や織布工場がある。

他にもメリヤス工場なども近くにあるので、この地域は繊維のメッカであったのだろう。

工場の機械にふれる

こうした工場が英二の幼少の頃の遊び場になっていたので、機械に触れることが多かったのだろう。

その後の人生において自動車製造の機械づくりに大いに役立ったに違いない。

近くには好生館

名古屋城のお堀沿いに進むと西区樋の口町だ。

当時は好生館という中京地区随一の病院があった。

その跡地には現在はナゴヤキャッスルが建っている。

好生館は陸軍軍医監の横井信之が建てたのだが残念ながら大正4年に焼失している。

なので、直接英二とは関わりが少なかったとは思われる。

その後の英二は

1番近くの小学校は俵小学校(現在の名古屋市立城西小学校)だが榎小学校に進学しているところをみると、英二が小さい頃に家族は引越していると思われる。

その後は愛知一中、第八高等学校という名門を卒業し東京帝国大学へ入学するなど秀才であった。

そして豊田自動織機へ入社してその後トヨタの自動車部門へと活躍の場を広げていった。

名古屋ゆかりの人物として

豊田佐吉が静岡の出身ということは非常に有名だ。

また、トヨタ自動車も挙母市の名前を豊田市に変えるほどの影響力をもつ。

トヨタ中興の祖と呼ばれた人物が名古屋城の目の前で生まれ育ったこともみんなに知ってもらいたいと思う。


2 件のコメント

    • ありがとうございます。
      榎小学校に通っていたのは確かです。
      OBの方なら何か知っているかもしれませんね。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

    ABOUTこの記事をかいた人

    トヨタディーラーで10年営業マンを経験。 その後、現職である保険代理店へと転職。 ディーラーにいたからこそわかるお得な買い方を伝授します! 最近は神社仏閣めぐりに毎週のように出かけ、御朱印集めにはまってます。