慶応4年(1868年)正月、尾張藩を襲った血の粛清、通称「青松葉事件」。新政府への恭順を示すため、藩主・徳川慶勝が断行したこの事件は、尾張藩の歴史における不可逆的な転換点となりました。その最大の政治的犠牲者となったのが、徳川十六神将の一人、渡辺守綱を祖に持つ名門中の名門、渡辺半蔵家です。
当主・渡辺新左衛門在綱は、藩政中枢を担う「御年寄列」、知行高2,500石という尾張藩屈指の重臣でありながら、鳥羽・伏見の戦い直後の混乱の中で、弁明の機会もなく斬首されました。この処断は、単なる個人への罰に留まらず、尾張藩を新政府側に確実に取り込むための政治的暴力であり、藩の方向転換を象徴する最大級の犠牲であったと分析されます。
この壮絶な事件を経て、渡辺家は「家名断絶」の危機に瀕しました。当主の斬首に加え、巨大な家禄2,500石はすべて没収され、武家社会における経済的基盤と政治的地位は完全に失われたのです。しかし、名門渡辺半蔵家の物語はここで途絶えることはありませんでした。
Ⅰ. 政治的断絶と系譜的連続性の間で
青松葉事件による処罰は、形式的には渡辺家を藩の家名簿から削除する「廃絶」の状態に追い込みました。しかし、藩主・慶勝は、新政府への忠誠を示すための政治的責任は当主の斬首と家禄没収によって果たしつつも、歴史的に重みのある渡辺家の系譜そのものを完全に断ち切ることまでは避けようとした経緯が読み取れます。
武家の家名が途絶えることは、旧来の武士団に対する藩主自身の支配力や正当性をも弱めかねません。ここに、**政治的断絶(粛清)と系譜的連続性(家名の存続)**という、複雑な二面性が生じます。この時代の政治的妥協の産物として、連座を免れた親族や直系卑属が、家名存続を藩に請願したと推測されます。
その結果、渡辺家は名門としての歴史的威信と、藩主側の政治的配慮のバランスの上に、家名の復活を許されました。
Ⅱ. 家名再興のプロセスと地位の変質
渡辺家が再び「流れ」を取り戻すプロセスは、苦難に満ちたものでした。
1. 継承者の選定と復籍: 斬首された在綱の直系か、あるいは近隣の分家筋から新たな家督継承者が選ばれ、家名が再興されました。
2. 大幅な減知: かつての2,500石という巨大な知行が復帰することは叶いませんでした。初代守綱公の功績を考慮されたものの、家禄は著しく減額された形(数百石以下、あるいは数十石程度まで)で再交付されたと見られます。これにより、形式的な士族としての身分は継続されました。
3. 士族への編入と困窮: 明治維新後、渡辺家は旧尾張藩士として士族籍に編入されます。しかし、1870年代の秩禄処分により、再興後のわずかな家禄も金禄公債に代わりました。2,500石という基盤を永続的に失った家系にとって、経済的な困窮は避けられませんでしたが、士族としての教育や人脈を活用し、新体制への適応が図られました。
この再興は、系譜的な連続性という「名誉」は維持したものの、旧来の藩政中枢を担うほどの経済力や政治的地位を完全に失うことを意味しました。彼らの「その後」は、名誉の継承と、明治新体制下での生活基盤の再構築という、困難な二つの軸で展開することとなったのです。
Ⅲ. 現代に続く「流れ」と歴史的顕彰
渡辺半蔵家の系譜的な存続を現代にまで繋いでいる揺るぎない証拠は、2013年に「渡辺守綱公顕彰会」によって出版された専門研究書『渡辺半蔵家と尾張藩 — 尾張徳川家の状況と渡辺家の流れ : 幕末青松葉事件をめぐる』にあります。
この書籍が、副題で「幕末青松葉事件をめぐる」という文言を掲げていることは、現代においても、この事件の記憶と継承、そしてそれが家系に与えた永続的な影響を研究することが、渡辺家にとって重要な課題であることを示しています。
顕彰会の活動は、単に初代守綱公の功績を称えるだけに留まりません。青松葉事件で犠牲となった渡辺新左衛門在綱の名誉を回復し、彼の行動を「藩内の複雑な状況下で、やむなく忠義のために犠牲となった」という物語に位置づけ直す役割を担っているのです。
青松葉事件は、渡辺家を一時的に「反逆者の家」という政治的汚名に晒しました。しかし、顕彰会による継続的な研究活動は、この汚名を払い、歴史的自己正当化を追求する継続的なプロセスであると評価できます。
結び:激変の時代が残した永続的な影響
青松葉事件後の渡辺半蔵家の運命は、日本の明治維新期における名門武家の複雑な実情を象徴しています。当主の斬首と巨大な家禄没収という「政治的断絶」に直面しながらも、祖先の威信と藩主の配慮によって「系譜的連続性」を維持しました。
渡辺家は、絶家を回避し、系譜を現代まで継承しましたが、その代償として旧体制下での絶大な権力と知行を永続的に失ったのです。彼らの歴史は、激動の時代において、名誉と家名の継承がいかに困難であり、またそれを維持するための努力が、近現代の顕彰活動という形で継続していることを明確に示しています。
家系の「流れ」を追うこの専門的な研究は、私たちに、幕末の政治的激変が個々の武家系譜にもたらした、金銭や地位を超えた永続的な影響を深く考えさせてくれるのです。