日本三大美人は昔から京美人(京都)、秋田美人(秋田)、博多美人(福岡)と言われる
逆に日本三大不美人といえば名古屋・水戸・仙台であると1980年代ぐらいからまことしやかに言われてきた
それぞれの地域がなぜ三大ブス産地といわれてきたのか解説します
目次
名古屋といえば東京、大阪に次ぐ日本で第3位に入る規模をほこる大都市
名古屋がブスの産地と噂されるのは戦国時代にさかのぼる
まずは安土桃山時代、織田信長が地元尾張美人の娘を安土城へ連れていった
それから天下をとった豊臣秀吉が残った美人の娘を大阪城へ連れていった
最後に徳川家康が天下統一をした際にさらに残ったマシな美人を江戸に連れていった
こうして名古屋にはあまりものの不美人しか残らなかったと伝えられている
茨城ブスともいわれる水戸ブスの由来も江戸時代にさかのぼる
関ヶ原の戦いの際に、もともと水戸を所領していた佐竹義宣は東軍にも西軍にもつかない日和見をしていた
関ヶ原の戦い後に佐竹氏の態度に業を煮やした徳川家康は佐竹義宣を秋田に転封した
そして水戸には徳川家康十一男の徳川頼房を水戸藩初代藩主として入封させた
ちなみに徳川頼房の子どもはあの有名な水戸黄門で有名な水戸光圀公である
水戸を追い出された佐竹義宣は水戸中の美人を引き連れて秋田へと向かっていった
そして秋田には美人が多くなったとも言われている
仙台ブスの由来には仙台藩伊達家が深く関わっている
とても見栄っ張りだった仙台藩初代藩主伊達政宗が参勤交代の際に仙台の美人を江戸まで引き連れて連れて行ってしまったというのがひとつ目の理由
そしてふたつ目の理由は3代目藩主の伊達綱宗のやらかしが原因というものだ
当時、綱宗は吉原随一の花魁の高尾太夫にいれあげていたのだが、全く相手にされていなかった
怒った綱宗はついに高尾太夫を殺してしまう
その高尾太夫の怨念により仙台には美人が産まれなくなったといういわゆる『高尾の祟り』のせいであるという
結論から言うとブスが多いというのは全くの作り話で、3都市とも美人が多くただの自虐ネタとして広まっているに過ぎない
名古屋と茨城はそれぞれ徳川御三家の尾張徳川家と水戸徳川家の所領する領地でもあり、他の地域からのやっかみで創作された作り話ではないだろうか
宮城県に位置する仙台藩も藩主の伊達政宗が独眼竜政宗という異名で徳川家に匹敵するぐらいの知名度を誇るので、上記と同じく創作された噂話ではないだろうか
また『高尾の祟り』に関しても戦後の有名作家坂口安吾が『美人の消えた街』というエッセイで仙台に美人がいないのは高尾の祟りであると書いていたからである
不名誉なレッテルを貼られた3都市には申し訳ないが、こういう自虐ネタ的な話題はいつまで経っても語り継がれていくものであろう