28年連続で自動車の輸入台数日本一を誇る豊橋
今では自動車の輸出入の聖地と呼ばれているが、もともとは吉田宿が置かれた吉田藩のお膝元だ
実は豊橋という地名は豊川に架かる『豊橋』(とよばし)という橋を由来として明治時代につけられたものである
目次
江戸の日本橋を起点とする東海道の34番目の宿場町である吉田宿は平安時代より吉田といわれていた
吉田という地名は日本全国にみられる一般的な地名である
多くは『葦の生えている田んぼ』という『葦田』(あしだ)といわれていた
そしてそのほとんどは『あしだ』から『よしだ』となり『吉田』へと転訛していったと言われている
そして吉田には今橋城が牧野古白により築かれた
その後今橋城は吉田城へと名前をかえ今川義元の支配下に置かれたり、秀吉配下の池田輝政が城主になったりしていた
江戸時代になると松平氏、水野氏、小笠原氏などの譜代大名が次々と城主になるなど頻繁に国替えが行われた
現在の豊川駅から大通りを進み市役所に突き当たったすぐ右側が吉田城址である
そしてその眼下に流れるのが豊川と呼ばれる川であり、吉田城を守る堀の役目も担っていた
そして徳川家康が東海道の整備にあたり豊川に架けたものが吉田大橋という120間(約220m)もの長い橋である
当時は東海道五大官橋と呼ばれるほどの大きな橋であった
その吉田大橋が後に豊川に架かる橋から豊橋と呼ばれるようになった
そして版籍奉還に際して伊予に同じ吉田藩という藩があった関係で豊橋藩へと改称され、その豊橋が現在まで繋がっているという
現在、豊川に架かる『豊橋』は立派な鉄橋である
当時の吉田大橋よりも70メートルほど上流に架橋されている
当時の吉田大橋はかつての橋桁などが保存されている公園として残されている
また豊橋市は今でも路面電車の走る都市として電車マニアや写真愛好家から人気の町だ
また嵩山蛇穴(すせじゃあな)と呼ばれるかつて大蛇が住み着いていたといわれる洞穴があり、そこには埋蔵金伝説ものこっているという