泥江町、水主町と並ぶ名古屋三大難読地名である新瑞橋。
新瑞という土地は名古屋には存在しない。ではなぜ新瑞橋という名前が生まれたのだろうか?
答えは昭和4年にできた橋がヒントになっている。
目次
新瑞橋というのはもともとは橋の名前である。
新瑞橋という橋は昭和4年に山崎川に架けられた橋のことである。山崎川といえば桜で有名であり、花見の季節にはとても賑わいをみせている。
当時は木製の橋であったが戦後の昭和24年に鉄製の橋に架け替えられている。
この橋がなぜ『新瑞橋』と名付けられたのか?
答えは『瑞穂村』と『新屋敷村』をむすぶ橋だったからだと言われている。
『みずほ村』と『しんやしき村』の頭文字をとって『新瑞橋』
では『新瑞橋』はどのような読み方かお分かりでしょうか?
『しんやしき』と『みずほ』の頭文字なので『しんみず橋』もしくは『しんずい橋』と読むのが普通だ。
しかしなんと『新瑞橋』は『あらたまばし』と読むのだ。
ネーミングセンスがハンパない。単純に頭文字を繋げただけの橋を読みかたを工夫するだけでこんなにも素晴らしい地名に変わる。
実は橋は2つの地名の頭文字をとって名付けられることが多い。
他にも『戸田』と『春田』をつなぐ『戸春橋』、『名古屋』と『師勝』をむすぶ『名師橋』など単純に頭文字をとって名付けられている。
その中で新瑞橋は読み方にセンスがある。そのおかげか橋の名前というよりはその地域全体の名前として定着していった。
戦後に鉄橋に架け替えられた新瑞橋は戦後名古屋の鉄製橋第一号であった。
日本では昔から木製の橋が当たり前であった。洪水などの災害により橋が流されたりしたときなどに新たに掛け替えることが常識と考えられていた。
しかしイギリスで18世紀に鉄製の橋が造られてから世界中に鉄橋やコンクリート製の橋が普及していった。
当時は鉄やコンクリートで造られたものは永久に使え、塗装の塗り替えのみでほぼメンテナンスフリーの施設と思われていた。
なので、鉄製の橋は『永久橋』と呼ばれていた。
しかし戦後80年が経ち、当時永久に使えると信じられていた永久橋たちが劣化により架け替えの時期を迎えようとしている。
新瑞橋は永久橋として架けられた当時は幅15mと狭かったが、昭和46年には拡幅工事が行われて倍以上の広さに拡幅されて現在に至る。
冒頭で紹介した難読地名だが、『泥江町』、『水主町』、『新瑞橋』の読み方は名古屋市民以外ではほぼ読める人はいないだろう。
東京や大阪にも地元民しか読めないような地名が多数存在するように名古屋にも難読地名がある。
答えはそれぞれ『ひじえちょう』、『かこまち』、『あらたまばし』と読む。