江戸時代までは男子の誕生にあわせて武家では家紋入りの幟(のぼり)を門に掲げていた。
その頃の庶民は由緒ある武家の真似をするのが憧れであった。しかし家紋入りの幟をあげるわけにはいかなかった。
その頃に考えられたのは子どもの成長を祈る鯉を模したのぼりをあげるものであった。
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ではなぜ鯉ののぼりなのか?
それは古来から、急流を登りきった鯉はやがて龍になるとの言い伝えがある。
なので、急流を登る鯉を掲げる事によって男子が健やかに成長し、出世するとの願いを込めている。
こどもの日は男子の誕生を祝うとともに、男子を産んだ母親に感謝する日である。
子どもの日が祝日に制定されたのは1948年のことです。出産というのは今でもそうですが、母親にとっても命がけのことです。
子供の成長を願うことに加えて、命がけで産んでくれた母親に感謝する。ということで制定された祝日であります。
今ではこどもの成長のみならず、産んでくれたお母さん、育ててくれた家族のみんなに感謝する、そういった感謝の日ととらえてもよいのではないでしょうか。
もともと、武家が家紋入りののぼりをあげているのを憧れていた庶民が対抗して鯉ののぼりを上げるようになったのが始まり。
今ではカラフルなこいのぼりがあるが、当初は黒い鯉(真鯉)だけだったとか。
明治になって初めて赤い緋鯉が空を泳ぐようになった。
1番上にある五色の吹き流しは魔除けの役割を果たしている。五行思想に影響を受けて赤、青、黄、白、黒の5色が使われている。
テッペンには矢車が取り付けられているが、これは武家でいうところの弓矢を表している。お正月に飾る破魔矢と同じく武具を飾りにしたものである。
昭和30年ごろには小さい青い鯉も合わせて3匹の鯉で家族を表すのが一般的となってきて、その後ピンクの鯉や緑の鯉などで大家族を表すようになってきたという。