織田信長戦勝祈願神社
今川義元との決戦を前に清須城からの道すがら、織田信長は3つの神社に戦勝祈願をしたという。信長の足跡を辿って御朱印集めをするのはいかがだろうか。
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京都で応仁の乱の起こっている頃に加賀白山の大神を現在地である尾張国愛知郡山田庄榎町に勧請して創建。桶狭間の合戦に織田信長が出陣の際に真っ先に美濃路を通って戦果を祈願。今川義元に勝利し榎白山神社には太刀を奉納した。太平洋戦争の災禍により本殿もろとも太刀も焼失してしまったという。
諸説あるが暦を司る日置部たちが住んでいたことに社名は由来するという。榎白山神社に参拝の後、信長は日置神社にも敦盛の舞いとともに戦勝祈願をしていった。戦いの後、日置神社には千本もの松を奉納。千本松原日置八幡宮とも言われていた。奉納された松も明治時代には全て枯れてしまったという。
榎白山神社、熱田神宮に続いて戦勝祈願に訪れた熱田神宮。日本武尊と草薙剣を祀っている熱田神宮には戦勝後に塀を奉納。その信長塀は空襲にも焼けずに信長が奉納したものの中で唯一現存している。