世界でも最も優秀な刀剣としての価値が高い日本刀。武器としての斬れ味はもちろんのこと、工芸品、美術品としての価値も高いことでも知られる。
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数ある日本刀の中でも平安時代から鎌倉時代にかけて作られた五本の名刀を称して天下五剣という。
それぞれが時の天下人などに愛されているなどの由緒伝来も名刀としての価値を高めている。
この天下五剣は明治から昭和にかけて活躍した刀剣研究家である本阿弥光遜らによって名称が用いられることによって世間に定着していった。
昭和の著名な刀剣研究家である佐藤寒山氏によれば『天下五剣は由緒伝来も加味されて選ばれているので、最も優れた名刀を選ぶとすればこの通りにはならないだろう』と述べている。
童子切 | 大原安綱 | 刃長80センチ反り2.7センチ | 平安時代中期 | 国宝 | 東京国立博物館所蔵 |
三日月 | 三条小鍛冶宗近 | 刃長80センチ反り2.7センチ | 平安時代中期 | 国宝 | 東京国立博物館所蔵 |
大典太 | 三池光世 | 刃長65.8センチ反り2.7センチ | 平安時代後期 | 国宝 | 前田育徳会所蔵 |
鬼丸 | 粟田口国綱 | 刃長78.2センチ反り3.2センチ | 鎌倉時代中期 | 皇室御物 | 宮内庁所蔵 |
数珠丸 | 青江恒次 | 刃長81.1センチ反り3センチ | 鎌倉時代中期 | 重要文化財 | 本興寺所蔵 |
江戸時代に津山藩の江戸屋敷において達人町田長太夫が試し切り。六つ胴(6人分の罪人の亡骸を重ねたもの)を一刀両断し、さらに刃が土台まで真っ二つにしたという斬れ味を見せていた。
源頼光が丹波国大江山に住み着いた鬼、酒呑童子を退治した際に使われたと伝わるのがこの刀である。酒呑童子の首を切ったとの由来から「童子切」と呼ばれるようになったという。
細身で反りが高いのが特徴的。美しい「三日月」の名は刃縁に見られる焼刃の三日月状の模様から名付けられた。この三日月状の模様は二重にも三重にも重なっていて非常に美しいと評判であった。
豊臣秀吉正室の高台院が所有していたが遺品として徳川秀忠に贈られその後は徳川将軍家の所蔵となっていた。
1933年1月23日に国宝に指定されたが、太平洋戦争後に徳川家から流出して個人収集家へと渡る。
その個人収集家は大同特殊鋼初代社長の渡邊三郎氏であり、氏の死後長男誠一郎氏により東京国立博物館へと他の国宝・重要文化財13口とともに寄贈された。
もともと室町幕府の足利将軍家の家宝であったが足利家の没落により流出し豊臣秀吉のものとなった。ある時大名たちの間に伏見城の千畳敷を深夜に歩くと背後から刀の鞘をつかまれ身動きできなくなるとの噂が流れた。噂払拭のための肝試しに前田利家が名乗りを上げたため豊臣秀吉が魔除けとして大典太光世を持たせた。前田利家は何事もなく肝試しを終え不吉な噂はおさまった。
大典太光世はこの一件の褒美として前田利家に与えられた。前田家の娘が原因不明の病にかかった際、大典太光世の力で治したとの伝承もあり、魔除けや病気平癒の力があるとされている。
江戸千住の小塚原では御様御用(おためしごよう)5代目山田浅右衛門吉睦が大典太を使って試し斬りを行なったと記録されている。
現在は前田家に伝わる文化財を管理する前田育徳会が所蔵している。
鎌倉幕府執権北条時政が毎晩夢の中に現れる鬼に苦しめられていた。夢の中で老人に姿を変えた太刀国綱が「鬼を退治したければ自分のサビを拭い去ってくれ」と伝えた。早速太刀の手入れしたところ立てかけておいた太刀が倒れ鬼の形をした火鉢の飾りを真っ二つに切った。それ以降夢に鬼は現れなくなったため、この刀を鬼丸と命名したという。
鬼丸は所有するものに不幸をもたらす不吉な刀とされ所有者が早死にするなどした。
北条家のあとに所有した豊臣秀吉や徳川家も本阿弥家に預けていた。その後、後水尾天皇に献上された鬼丸国綱ではあるが、やはり不吉な事がおこり本阿弥家に戻されてしまったという経緯がある。
日蓮宗の開祖である日蓮聖人が身延山へ入山する際信者から送られたもの。これに数珠をかけ破邪顕正の太刀として使っていたことから「数珠丸」の名前がついたとされる。日蓮聖人の没後他の遺品とともに身延山久遠寺に保管されていたが享保年間に行方不明となった。大正8年(1920)に競売にかけられていたところを兵庫県尼崎市在住の刀剣鑑定家杉原祥造氏により再発見される。杉原は久遠寺に返納しようとしたが交渉がまとまらず近所の本興寺に寄進され現在に至る。
上記4本は全て豊臣秀吉が所有していたが数珠丸恒次だけは久遠寺が永らく所蔵していた。
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まあ出雲安来の草那芸大刀に比べると神威がないな。天皇の権威の根源を示す古事記でも有名なレガリアの話だからな。今は愛知県名古屋市の熱田神宮にあるようだけれども一度参拝に出かけたいな。