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愛知県名古屋市緑区にある成海神社は、朱鳥元年(六八六年)、草薙神剣が熱田に還座された時に、日本武尊の縁由により鎮座されたと伝えられています。日本武尊を主祭神に祀り、妃神の宮簀媛命とその兄神である建稲種命を配祀しています。かつては、熱田神宮の東に位置することから「東宮大明神」とも呼ばれ、千三百年もの間、人々の心の拠り所として親しまれてきました。名古屋市内にありながら豊かな自然に囲まれ、悠久の歴史を感じる由緒正しい神社です。
朱鳥元年(686年)、成海神社の創建当初は今より南の地、扇川に面した天神山に鎮座しておりました。中世の東海道では、熱田神宮から鳴海までの区間は鳴海潟と呼ばれる干潟があり、満潮時には海となる地形でした。天神社には、日本武尊が鳴海潟で詠まれたという御歌が残っています。
「鳴海浦を 見やれば遠し 火高地に この夕潮に 渡らへむかも」(熱田大神縁起より)
御歌にある「火高(現在の大高)」とは尾張国造城館の所在地で、日本武尊の后である宮簀媛命が住んでおられました。東征からの帰還の際に、日本武尊は鳴海潟(現在の鳴海駅北)から対岸の火高丘陵まで船で渡ったことが伺えます。
室町時代の応永年間(1394〜1528)に、安原備中守宗範の鳴海城築城にあたり、当社は現在の乙子山に社殿が移されました。旧社地である天神山には現在、飛地境内神社の天神社が祀られています。御旅所として、毎年10月第2日曜日の例祭には神輿が渡御します。また、先の神話に因み、御神霊が旧址に渡御し、木片一片を御舩として扇川に流す御舩流神事が伝承されています。
明治元年の明治天皇御東幸の際には、御道筋の式内諸社へ官弊使御差立の旨仰出され、同神社へは9月27日に侍従正四位下源朝巨植松雅言卿が勅使として参向。畏くも奉幣の嚴儀が執り行われ、同5年には郷社、昭和16年には県社となりました。
名古屋市緑区鳴海町字乙子山85
御朱印は境内内にある社務所でいただくことができる。
オリジナルの御朱印帳や御守りなどは地元名産の鳴海絞を使ったものでできている。他の神社でもオリジナルデザインの御朱印帳などはあるが、素材自体も地域特産のオリジナルのものである点は全国でも珍しい。
草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉が三種の神器である。
草薙剣は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも呼ばれていた。
スサノオがヤマタノオロチを退治した時にヤマタノオロチの体内から出てきた剣が草薙剣だ。高天原のアマテラスに献上されたがその後、孫のニニギが地上を治めるためにアマテラスから託された。
崇神天皇の時代に伊勢神宮に移された後、景行天皇の時代に東征に向かうヤマトタケルに託された。
尾張国造オトヨの子である建稲種命は東征の際、副将軍として武功を挙げる。その妹である宮簀媛(ミヤズヒメ)を娶ったヤマトタケルが草薙剣を宮簀媛に預けた。
しかしヤマトタケルは東征の帰りに病に倒れてしまう。
尾張国で草薙剣を預かっていた宮簀媛は熱田神宮を創建してそこにヤマトタケルとともに草薙剣を祀った。
初詣の時期には近隣からだけではなく遠方からも参拝に訪れるという成海神社。
境内もとても広いが初詣三が日には大混雑となる。
成海神社には名古屋市内にしては珍しいほどの広大な駐車場が整備されている。
他にも電車で参拝するには名鉄名古屋本線「鳴海駅」下車徒歩13分
バスならば名鉄バス鳴海線「鳴海神社」下車徒歩1分
クルマで約5分ほどのところに熱田神宮と関わりが深い氷上姉子神社と小高い丘の上にたち景色がとてもキレイな豊藤稲荷神社がある。
どちらも御朱印をいただくことができる。
名古屋市緑区大高町火上山1-3
名古屋市緑区作の山町180