丸の内のビルの間に鎮座する桜天神社。名古屋三天神参りのひとつである。合格祈願の絵馬がいたるところにかかげられている。
目次
名古屋市中区錦2-4-6
菅原道真公
名古屋市営地下鉄 丸の内駅から徒歩3分
オフィス街にあるだけあり、駐車場はないので地下鉄などの公共交通機関で参拝に行こう。
しかしコインパーキングは周辺にいくつもあるので自動車でいく場合はそちらを利用しよう。
織田信長の父である織田信秀が北野天満宮より菅原道真の木像を勧請した。
その木像を那古野城内に祠を建ててお祀りしたのが桜天神社の始まりである。
その後、天文7年(1537年)に現在地に移されたときを桜天神社の創建とされている。
当時は萬松寺の境内地であり、その鎮守として置かれていた。萬松寺は5万5千坪の寺域を誇っていた大寺院であった。
慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際に大須へ萬松寺が移った後も桜天神社は現在地にとどまった。
ここはかつて桜の名所であったため、『桜天満宮』、『桜天神』などと自然と呼ばれるようになったそうである。
また名古屋城築城の際には城造りの名人である加藤清正がここに本陣を構えて指揮をとったことでも有名である。
境内にあった桜の大木は万治3年(1660年)の大火により焼失してしまったが、桜天神として名は残りさらには桜天神社前の通りを『桜通り』と呼ぶようになったと伝えられている。
尾張藩第2代藩主の徳川光友公により鐘楼が建てられた。
寛文元年(1661年)より明治6年(1873年)まで午前0時と午後12時の昼夜2回、200年以上にわたり名古屋の人々に時を告げていた。
今は当時のレプリカが境内地に飾ってあるのみだ。
明治維新後の神仏分離の際に『菅原神社』と名前を変えた。
しかし第二次世界大戦後には桜天神社と再び名前を変えて現在に至る。
学問の神菅原道真を祀る神社として名古屋三天神に数えられているために受験生が多く参拝に訪れる。
この三社を参拝すると学問に対する念願が成就すると言われている。
そのため受験生が多く参拝に訪れている。
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