名古屋城正門前から歩いて10分。名古屋城観光のついでに参拝にもいける距離。戦災で本殿は焼失してしまったが400年の歴史ある神社である。現在の本殿は東区にある建中寺から移築したものである。
目次
名古屋市中区丸の内2-3-37
徳川家康公(東照大権現)
社に奉斎する家康公は尾張徳川家中興の祖にして、名古屋の地を開き、城を築いて第九子義直公(尾張藩祖)を以て始めて居城せしめられ、名古屋開府の祖神にし恩神でもあります。
家康公逝去後三年即ち元和五年(1619)九月十七日に義直公は日光山鎮座の式に準じて、城郭内三の丸に社殿を創建し天台宗尊寿院並びに神主吉見公和氏を以て奉斎せられ社領一千石を附せられたが、廃藩と共に廃せられる、明治五年五月村社に列せられ、同年八月八日縣社に昇格、同九年十月舊藩立校明倫堂跡地即ち現在地に遷座される。
建物は、創建以来の権現造の本殿、渡殿、楼門、唐門、透塀、楽所、社務所等極彩色の国宝の諸建造物が並び輪郭の美を極めていたが、戦災を被り烏有に帰す。
明治五年五月村社に列し同八年八月縣社に列せられる。
現在の本殿は、昭和二十八年十月尾張徳川家より藩祖義直公の正室高原院殿(春姫)の霊廟〔慶安四年(1651)建立〕を移築し社殿とする。
昭和三十五年県重文に指定される。
もともとあった本殿は日光東照宮に準じた権現造で国宝に指定されていた。しかし昭和20年の名古屋大空襲により焼失。
現在の本殿は尾張徳川家の菩提寺である建中寺にあった徳川義直公正室である春姫さまの御霊廟を昭和28年に移築して本殿としたものである。
さらに遡れば元々は春姫さまを祀る万松寺に慶応4年(1651年)に建てられた霊廟であり、大正時代に建中寺へ移されたものである。国宝の本殿を失っても国宝級の本殿を迎え入れるというのは徳川家康公を祀る由緒ある神社ゆえということになるからだろう。
『東照宮時代祭り(名古屋まつり)』は1620年より伝わる神幸の儀で、山車9両が列なる名古屋を代表する祭礼であった。洲崎神社で行われる『洲崎の天王祭』と並ぶ江戸時代における名古屋の二大祭りのうちの1つであった。
その9両の山車も戦災により、建中寺の門前町である筒井町の山車1両を残すのみとなっている。
御祭神 (大国主命・事代主命) 当宮末社福神社に奉祀致します
大国主命即ち大国(大黒)様に東照公御在世の砌(みぎり)、深く大国様を御信仰になり、天海僧正(慈眼大師)をして一刀三礼を以て彫刻致しました尊像であります。
後に名古屋開府に当たり初代藩主徳川義直公(家康公第九子)に賜り守護神として崇敬され元和五年当宮創立に際し相殿に御奉祀申上げたのであります。
特に申上げたい事は、此の大国様は腰に両刀を差し、両手に玉を抱えたお姿であります。これは邪を斬り悪魔を払い玉の如く円満なる大慈悲心の表現であります。清浄な心真実の心を信仰致されれば必ずや神明の感応疑いありません。
大方の諸賢宏大なる開運福徳の御利益を賜らん事を御祈願ください。
名古屋東照宮HPより引用
福神社の名前通り福がさずかるこの神社。
大国主命はいわゆる大黒さまです。金運向上の御利益があります。
御朱印は名古屋東照宮と福神社と2つ授与していただくことができます。
那古野神社とも隣接していますので、一気に御朱印集めがはかどるかと思います。
また愛知県護国神社へも徒歩5分。桜天神社へは徒歩10分以内で行くことができます。
15分ほど歩けば冨士浅間神社へも行けます。
地下鉄丸の内駅か市役所駅から徒歩圏内なのと、近隣の御朱印神社へも徒歩圏内でいけるので公共交通機関を使って参拝へ伺ったほうがベターだと思います。
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