豊国神社は豊臣秀吉の生まれ故郷であると伝わっている。加藤清正も隣の妙行寺の敷地にて出生したと伝わっている。
目次
名古屋市中村区中村町字木下屋敷(中村公園内)
豊臣秀吉公(豊国大明神)
加藤清正公(摂社)
創建は明治18年(1885年)と新しい。
県令(当時の県知事)である国貞廉平をはじめ、地元崇敬者による生地で豊臣秀吉を祀る運動が盛んになったのをうけ創建された。
全国にある豊国神社(とよくにじんじゃ)・豊國神社(ほうこくじんじゃ)と同じく豊国大明神を祀っている。
地下鉄中村公園駅の前には高さ24mの大鳥居があり、創建当時は世界一の高さを誇った。
中村公園内にある豊国神社自体はそれほど大きなものではない。
しかし全国から参拝者が集まっているだけあり、こじんまりとしていながら立派な佇まいだ。
御朱印は季節によりデザインがかわる書置きタイプのものと、御朱印帳に直書きしていただけるタイプのものがある。
オリジナル御朱印帳には金の文字で書かれたオリジナル御朱印も用意されている。
そのオリジナル御朱印帳だが、カバーが木でできた特注品のような限定品もある。金額は2500円となっている。
ほかのオリジナル御朱印帳は4種類の色が用意されている。
紺色バージョンでは表紙には豊臣家の家紋が、背表紙には金文字で『尾張国中村 豊国神社』の文字が書かれておりとてもカッコいい出来映えとなっている。
オリジナル御朱印帳に最初から書かれている金文字バージョン
加藤清正公を祀った境内摂社の御朱印もいただくことができる。
死後に後陽成天皇から『豊国大明神』の神号と正一位の神階が与えられた。
これにより豊臣秀吉は神として祀られることとなった。
農民の子として生まれ足軽から武将となり天下統一をし、関白そして最終的には太閤にまで登りつめた。
そうした出世物語になぞらえて出世、開運、茶道、建設などの文化の神として親しまれている。
豊臣秀吉と加藤清正は母親同士が隣に住んでいたいとこ同士であった。
幼少の頃から加藤清正は豊臣秀吉に忠誠を誓い、15歳の時には豊臣秀吉に仕官した。
秀吉のもとで武功を挙げて一国を任されるほどの大人物となった。
築城の名人とも呼ばれ、名古屋城の石垣や熊本城の石垣などが加藤清正が指揮をとり建設したものである。
豊国神社内本殿の北東には摂社清正公社が鎮座し御祭神として加藤清正公を祀っている。
加藤清正の生家は現在は妙行寺となっている。
1610年の名古屋城築城の際に使った材木で、近くにあった妙行寺を自分の生家に移築したと伝わっている。
住宅街にドンッとそびえ立つ大鳥居は一見の価値アリ。
地下鉄で行ったら駅前にあるのですぐわかる。
自動車で行ったとしても駅前までみにいく価値アリです。
中村公園併設の駐車場スペースが20台分ほどある。
しかし公園利用者も多いのであまり駐車場は空いていない。
空いていないときは近くにコインパーキングも多数あるのでそちらを使うことをおすすめします。