日本武尊が東征する道すがらに立ち寄ったとされる大変歴史ある神社。また日本で唯一の漬物の祖神を祀る神社としても有名である。
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愛知県あま市上萱津車屋19
鹿屋野比売神(かやぬひめかみ)
尾張国の古社で日本武尊も立ち寄ったとされるほどの古の時代から続く神社。
尾張国神明帳には従三位萱津天神とあり、本国帳貞治本には従一位萱津天神との記載がある。
和歌に歌われていたはるか昔には草ノ社・種ノ社・阿波手の社などともいわれていた。
大和民族が沃野を求めて土地を開拓していた頃、田畑を守る農耕の神である鹿屋野比売神を祀る神社であった。
今では萱津神社のある甚目寺町は内陸部であるが大昔は海岸線が広がる海沿いの地域であった。
そんな海沿いの神社に地域で採れたウリやナスやキュウリなどを供えていたところ、お供え物を入れた壺が海水に浸ってしまった。
そうすると保存のきく美味しい漬け物ができたというのが我が国の漬け物の発祥であると言い伝えられている。
そして日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折にこの地を訪れた際に村人が漬け物を献上した。
そのときに日本武尊が発した言葉が『藪に神物(やぶにこうのもの)』といわれている。
その『神物(こうのもの)』が転じて漬け物のことを『香の物』と言うようになったという。
熱田神宮より移築された建物で500年以上の歴史を誇る。ほかにも漬け物の神さまをまつる建物も歴史を感じさせる。
日本武尊がこの地に滞在していたと聞いた妻の宮簀姫が逢いにやってきたが、一足違いで日本武尊は東征へと赴いてしまった。
その後、妻に逢えなかった哀しみを他の者に味わってほしくないとの願いをこめてこの地に榊を植えた。これが後に『連理の榊』と呼ばれるようになった。
そして時代は下り平安時代のはじめ、57代陽成天皇はなかなかお妃が見つからなかった。
それを憂いた朝廷は各地の国司に縁結びにまつわる珍品や特産品を献上させた。
尾張国からはこの連理の榊を元慶元年(877年)2月14日に献上したと『三代実録』に記録されている。
その連理の榊によりお妃を迎え入れ、さらには皇子も誕生したということで連理の榊は縁結びの神として祀られてきた。
この故事をしのび現在でも献上する様を祭りとして伝えている。
日本で唯一の漬物の祖神ということで日本各地の漬け物のメーカーが参拝に訪れている。
また、境内奥には昔ながらの茅葺き屋根の祠などもあり歴史を感じることができる。
神社前は鎌倉街道という旧道で南に少し歩けばいくつかの歴史あるお寺も多数ある。
織田信長や豊臣秀吉といった尾張の武将たちもかつては参拝に訪れたであろう古社である。
車は10台ほど停めるスペースが用意されている。
近くには甚目寺観音や日吉神社などもありみどころ満載だ。