名古屋城の外堀の石垣跡に三角山と呼ばれる山がある。そこにかつて防空壕があった。
目次
名古屋城の西側にある名鉄東大手駅の北西。愛知県立明和高校の道路を挟んで西側にある小高い丘のような所が三角山と呼ばれる場所だ。
もう30年以上前になるが、この山に入っていくけもの道の様な道があった。
当時は川口浩探検隊が放送していて探検がブームになっていた。
子供たちは探検ごっこと称してこのけもの道をドンドン奥まで登っていった。
三角山を登っていくと山の中腹あたりにちょうど子どもがかがんで入っていけるだけの大きさの穴が空いていた。
その穴を入っていくと1.5mほど奥に人が3人ほど座れるだけの空間が広がっていた。
人の手で掘ったような穴で、自然にできたものではない感じであった。
入り口には扉などはなく山頂へ続く道の途中に横穴が空いていた。
30年前の時点ですでに穴の入り口には土砂が流れ込んで半分くらい埋まっていた。
内部にも同じく土砂が積もっていて、防空壕として使われていた時の痕跡などは見つけられなかった。
中の方が広く作ってあり、人が隠れるために作った物だと確信できるような穴であった。
文化財保護のため、アメリカの美術史家ラングドン・ウォーナー博士が作成した『ウォーナーリスト』というものがあった。
そのリストに沿って名古屋城や熱田神宮などの歴史的な建造物はアメリカ軍は爆撃対象から除外していたという。
しかし名古屋城には陸軍の第3師団の司令部があり、いつ空襲にあうかわからない状況でもあった。
結果的に前述のウォーナーリストに載っていたにもかかわらず、1945年5月14日の名古屋大空襲で名古屋城は炎上焼失してしまっている。
なので名古屋城周辺にも空襲に備えて関係者が避難できるように防空壕が掘られていたと推測するのが妥当である。
もしくは近隣の住民が掘ったものかもしれないが、真相は今となっては資料も残っていないのでわからない。
最近になって三角山を見に行ったのだが、石垣一帯が名古屋市の管理下にあり、関係者以外立ち入り禁止となっている。
なので今も防空壕が残っているのかは確認できなかった。
もちろん30年前も関係者以外立ち入り禁止だったと思うのだが、近所の子供たちの遊び場となっていた。
もし本当に防空壕だったとしたら戦争遺跡の保存のために公的機関の調査などがあれば、と願う。
三角山にあった穴は防空壕だと思っているが、もちろん違う可能性もある。
そこは個人的見解なのでご了承いただければと思います。
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こんばんは。
三角山、どこにも情報がなくて、探していました。言及している記事を初めて見つけて、嬉しいです。30年前ですからちょうど同じ頃、地元のみんなで探検に行ったことをいまでもよく記憶しています。
※当方、近くの小学校の出身ですが、学区外となるここへの探検はちょっとした遠征でした。
確かに三角山へは探検でした。
当時のことを覚えている人もだんだん少なくなってきましたね。
こんばんは。
三角山の防空壕、懐かしいです。30年前どころか、かれこれ43、4年前前に、友達に連れて行ってもらったことを思い出しました。友達の話では防空壕は二つあって、私が見たのは小さな今一つ半端な防空壕の方で、当時、工事をしていて、土嚢が中に置いてありました。もう一つの本格的な方の防空壕には、残念ながら、目にする事は出来ませんでした。友達も偶然、辿り着けたらしく、残念がっていました。今となっては懐かしい思い出です。
滅茶苦茶懐かしいです!名古屋市北区に住んでいた47年ほど前によく遊んでました。
Googleで当時のこの場所を探していたところ、記憶から辿っても全く分からず、覚えているのは山の中腹で、下を電車が走っているのが見えた事くらい・・それらの情報を検索していて、こちらのHPに辿り着きました。
再度Googleで明和高校前の画像から、こちらで間違いないと確信しました。
今では名古屋に住んでおりませんが、定年を迎えたら一度、幼少の頃の名古屋を訪ねてみたいですね・・