小学校の前身である尋常小学校よりさらに古い、『義校』をルーツに持つ小学校を調べてみた。どこもまもなく開校150周年を控える伝統校である。
目次
地域の市民有志が金品を寄付するなどし、協力して設立した学校である。
江戸時代に存在していた教育機関は主に寺子屋と藩校である。
寺子屋は主に庶民の子どもを対象にして個人が経営した私塾であり、藩校は主に武士の子どもを対象にして藩が直接経営した学校である。
義校は寺子屋や藩校とは異なり、公共的な性質が大きい新しい性質の学校であった。
明治4年(1871)の廃藩置県以後、寺子屋や藩校を廃止し義校を設立する事を当時の名古屋県が推奨した。
今般義校を建る主意は、人に学問を勤めさせ、各々性質の才を発し、智識を増さしめんとの主意なり‥。いでや実用の学問に志し、商人は彼万国の商法を見て己が商法の一助として、彼れ万里の波濤を凌ぎ来りて商ひをすれば、我国よりも亦万里を越えて彼国にもいたり、商ひをすべき道理なり‥。
(愛知県教育史資料編・近代一より引用)
これが名古屋県が定めた『義校大意』の一部である。
商人の子どもへの教育の機会の場として設けるといった色が濃くでている。
さらに武士の子どもや庶民の子どもといった身分に関係なく就学年齢に達した全ての者に入学を許可することが、近世の教育の根幹に繋がっている。
明治4年(1871)名古屋県により義校の設立が呼びかけられ明治5年(1872)から明治6年(1873)にかけて多くの義校が現在の愛知県、岐阜県に設立された。
その総数は2県下で450を数えた。
名古屋県では第1義校から第35義校までが地元有志の手で開設された。
政府が明治5年(1872)に学制を発布し小学校の設置にとりかかった。
同じ年、名古屋県は額田県と合併して愛知県となった。
愛知県は明治6年(1873)に小学校の設置にとりかかり400を超える義校を整備、拡充して小学校へと切り替えていった。
千種区 | 猪高小 |
東区 | 筒井小、東桜小、山吹小、旭丘小 |
北区 | 清水小、六郷小、楠小 |
西区 | 榎小、城西小、幅下小、庄内小 |
中村区 | 新明小 |
中区 | 名城小、栄小、新栄小、松原小、橘小、平和小、大須小 |
熱田区 | 白鳥小、高蔵小 |
中川区 | 八幡小 |
(昭和31年刊行 名古屋市学校沿革表より引用)
*昭和31年時点での区
第一義校 名古屋市立名城小学校
第二義校 名古屋市立平和小学校
第三義校 名古屋市立旭丘小学校
第四義校 名古屋市立葵小学校
第五義校 名古屋市立筒井小学校
第六義校 名古屋市立山吹小学校
第七義校 名古屋市立清水小学校
第八義校 名古屋市立幅下小学校(閉校)→名古屋市立なごや小学校
第九義校 名古屋市立幅下小学校(閉校)→名古屋市立なごや小学校
第十義校 名古屋市立幅下小学校(閉校)→名古屋市立なごや小学校
第十一義校 名古屋市立栄小学校
第十二義校 名古屋市立榎小学校
第十三義校 名古屋市立栄小学校
第十四義校 名古屋市立大須小学校
第二十一義校 名古屋市立明倫小学校
第二十三義校 名古屋市立城西小学校
第二十七義校 名古屋市立新明小学校(閉校)→名古屋市立笹島小学校
第二十八義校 名古屋市立明倫小学校
第二十九義校 名古屋市立高蔵小学校
第三十義校 名古屋市立東桜小学校
第三十二義校 名古屋市立新明小学校(閉校)→名古屋市立笹島小学校
第三十四義校 名古屋市立新栄小学校
第三十五義校 名古屋市立城西小学校
義校隆道学校 名古屋市立千種小学校
大壮義校 名古屋市立六郷小学校