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悲劇の光芒:相馬事件が照らした日本の精神医療史

明治時代、東北の一角で勃発した相馬事件は、単なる旧藩主家のお家騒動にとどまらず、近代日本が抱えていた精神障害者への人権侵害と医療制度の未熟さを白日の下に晒した大事件でした。その根底には、長きにわたり奥州の地を治めてきた相馬中村藩の特殊な歴史と、前近代的な隔離施設**「座敷牢」**の存在がありました。

📜 700年にわたる治世:相馬中村藩の歴史的背景

相馬中村藩は、藩主の相馬氏が鎌倉時代以来、奥州の地に根を下ろし、約700年にわたり一族で治め続けた稀有な大名家です。

相馬氏と平将門のルーツ

相馬氏の祖は、桓武平氏の流れを汲み、平安時代に反乱を起こした平将門の子孫を称しています。初代の相馬師常は、源頼朝による奥州合戦の功績で陸奥国行方郡(現在の福島県相馬郡南部)を拝領し、本拠地を奥州に移しました。

戦国時代には、北隣の伊達氏という強大な勢力と常に緊張関係にありながら、その独立性を守り抜きました。関ヶ原の戦い後、一時改易の危機に瀕しますが、巧みな交渉と忠誠心を示すことで本領を安堵され、6万石の外様大名として江戸時代を迎えました。

幕末の危機と乗り越え

中村城を拠点とした相馬中村藩は、財政難に陥るたびに藩政改革に取り組み、特に二宮尊徳の報徳仕法を導入して再建に成功するなど、安定した統治を続けました。幕末の戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加しますが、戦況を見て早期に新政府軍に恭順したことで、他の東北諸藩が苦しむ中で藩領を安堵されるという、極めて幸運な結末を迎えました。これは、長く続いた相馬氏の歴史と地域の安定性が評価された結果と言えます。

🏚️ 闇に閉ざされた隔離施設:座敷牢の役割

相馬事件の中心人物は、最後の藩主である**相馬誠胤(ともたね)**です。彼は統合失調症(推定)を患い、親族や家宰らによって自宅の座敷牢に監禁されたことが事件の発端となりました。

精神障害者監禁の歴史的背景

座敷牢とは、私宅内に設けられた、外部から施錠された隔離部屋の俗称です。これは、当時の日本で精神障害者を隔離する最も一般的な手段でした。

1. 医療施設の絶対的不足: 明治時代初期、精神科病院(癲狂院)はほとんど存在せず、遠隔地への入院は費用も労力もかかり、現実的ではありませんでした。

2. 社会的な差別と偏見: 精神障害は「家の恥」や「狐憑き」などと見なされ、世間の目から隠すための私的な隔離が慣習となっていました。

1900年(明治33年)に制定された精神病者監護法は、この座敷牢による監禁を**「私宅監置」**として法的に追認してしまいました。これは、実態として非人道的な監禁を公認することになり、座敷牢の悲惨な実態を固定化させる結果を生みました。

⚖️ 忠義と疑惑が交錯した相馬事件

1883年(明治16年)、旧藩士の**錦織剛清(にしごり たけきよ)**が、「誠胤は病気ではなく、異母弟家族が家督と財産を奪うために不当に監禁している」として家宰らを告発しました。

センセーショナルな報道と世論

事件は当時の新聞、特に『万朝報』などで連日、探偵小説のような過熱した調子で報じられました。錦織は「忠義の士」として大衆の喝采を浴びますが、行動は過激化し、入院先の癲狂院から誠胤を奪い出そうとする事件まで起こしました。

誠胤の精神病の真偽、監禁の是非、そして財産を巡る愛憎が複雑に絡み合い、最終的に誠胤は1892年に病死し、錦織は毒殺を主張しましたが認められず、誣告罪で有罪が確定しました。

🏥 事件が促した精神医療の推移

相馬事件が社会に与えた最大の功績は、日本の精神医療のあり方を深く問い直すきっかけとなったことです。

• 癲狂院から精神病院へ: 当時、精神科病院は**「癲狂院」**と呼ばれ、その多くが監禁所のような劣悪な環境でした。事件は、この施設のあり方や、診断基準の不統一といった問題点を浮き彫りにしました。

• 私宅監置の非人道性の告発: 精神科医の**呉秀三(くれ しゅうぞう)**は、事件後の調査や研究を通じて、私宅監置の実態を告発し、「我が国十何万の精神病者は、この国に生れたるの不幸を重ぬるものと謂うべし」という有名な言葉を残しました。

• 精神衛生法の制定へ: 呉秀三らの努力により、戦後間もない1950年(昭和25年)に精神衛生法が公布され、私宅監置はついに法律で禁止されました。これにより、座敷牢による私的な監禁という悲劇的な習慣は、法制度上、終止符を打たれたのです。

相馬事件は、封建時代から近代への過渡期において、権威、財産、そして人権が激しく衝突した結果として生まれました。この事件の悲劇を深く掘り下げることは、現在の私たちが精神医療や福祉について考える上での重要な教訓となります。

kinsyachi

トヨタディーラーで10年営業マンを経験。 その後、現職である保険代理店へと転職。 ディーラーにいたからこそわかるお得な買い方を伝授します! 最近は神社仏閣めぐりに毎週のように出かけ、御朱印集めにはまってます。

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