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名古屋市昭和区にひっそりと佇む「御器所(ごきそ)」という地名。漢字の見た目からは想像しにくいこの独特な響きは、一体どこから来たのでしょうか。この難読地名には、日本の歴史を動かした熱田神宮との、深い、そして神聖な物語が隠されています。
第一章:神の器を作る地、御器所
御器所の歴史を紐解く鍵は、この地がかつて**熱田神宮の広大な神領(しんりょう)**であったという事実にあります。
地名の最も有力な由来は、「御器調進所(ごきそ)」という言葉に集約されます。古代、熱田神宮では、大祭や神事の際に神様に供える特別な土器や焼き物が必要でした。これらの神聖な器は、他の場所では作ることが許されず、神宮の管轄下にある特定の場所で丹精込めて製作されていました。
御器所こそが、その「御器(ごき)」を製作し、神宮に納める(調進する)役割を担っていた場所だったのです。
つまり、「御器所」という地名は、数千年の昔から、神事と深く結びついた神聖な工房の役割を果たしてきた証なのです。
第二章:神剣にちなむ学び舎と地名の定着
御器所と熱田神宮のつながりは、古代の地名に留まりません。
明治時代、近代教育が始まった頃、御器所八幡宮の南側に設立された小学校は「叢雲(むらくも)学校」と名付けられました。この「叢雲」とは、熱田神宮に祀られている三種の神器の一つ、「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」の別名である「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」に由来しています。
神の器を作る地(御器所)のすぐそばに、神剣にちなんだ名の学校が誕生したことは、この地域がどれほど熱田神宮の権威と文化に浸透していたかを静かに物語っています。
ちなみに、「ごきしょ」と読み間違えられそうになった時期もありましたが、地域住民の強い愛着により、古来の「ごきそ」という読み方が今に引き継がれ、正式な名称として定着しました。
第三章:天下人の母が紡ぐロマン
御器所は神事の地であると同時に、戦国時代のロマンにも彩られています。
この地には、「御所屋敷跡」という史跡が残されています。古老の伝説や江戸時代の記録『尾張志』などによると、この屋敷は天下人・豊臣秀吉の生母である**大政所(なか)**の生誕地であると伝えられています。
貧しい鍛冶屋の娘、あるいは公家の娘であったとされる大政所の出自には諸説ありますが、「御器所村の古老伝説」には、秀吉の母がこの屋敷に住み、さらには秀吉を産んだという内容まで含まれています。
確たる史実というよりも、天下人の母の故郷として語り継がれてきたこの伝承は、御器所という場所に、神聖な歴史とはまた違う、戦国時代の夢とロマンを添えています。
第四章:名産品と近代化の波
江戸時代に入ると、御器所は農業の地としても名を馳せます。
御器所の台地で栽培された「御器所大根」は、肉質が良く、特に沢庵漬けに適していることで有名でした。この沢庵は、あまりの美味しさから「御器所のさしみ」と呼ばれ、城下で珍重された名産品でした。
その後、御器所村は近代化の波に飲み込まれ、名古屋市の発展とともにその姿を変えていきます。鶴舞公園の造成や、現在の昭和区の区名が制定される経緯(「御器所区」案と「広路区」案の対立を避け「昭和」が採用された)など、都市計画の重要な舞台ともなりました。
しかし、交通の要衝となり、文教地区として発展した今もなお、「御器所」という難読地名は、古代の土器製作所としての役割、神剣にちなむ学び舎の歴史、そして天下人の母の伝説という、重層的な物語を私たちに語りかけています。
次に御器所の地を訪れる際は、この地名に隠された歴史のロマンに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
御器所という地名を通じて、名古屋の奥深い歴史の一端を感じていただけたなら幸いです。