明治時代初期、新しい時代の息吹とともに、名古屋の街角では人々の暮らしを大きく変える二つの出来事が起こりました。一つは新しい飲み物の上陸、そしてもう一つは超人的な速さで評判となった男の登場です。いずれも、活気に満ちた明治5年の名古屋の世相を象徴するエピソードです。
🍹 文明開化の味、ラムネが本町に登場
明治5年、それまでの日本にはなかった清涼飲料水「ラムネ」が、ついに名古屋の街に登場しました。この新しい味を最初に売り出したのは、今枝庄兵衛という人物で、場所は商業の中心地である本町でした。
ラムネは、西洋の「レモネード」が訛って広まった名前であり、その炭酸のシュワシュワ感と甘酸っぱい風味は、まさに文明開化の「新しい味」そのものでした。現代のように様々な飲み物が手に入る時代では想像しにくいかもしれませんが、当時の人々にとって、ガラス瓶に入ったこの清涼飲料は、驚きと憧れの対象だったに違いありません。今枝庄兵衛は、新しい時代のニーズをいち早く捉え、名古屋の食文化に大きな一歩を記したのです。
💨 東海道一の韋駄天俥人「金時」の超絶スピード
同じ頃、名古屋の街を颯爽と駆け抜ける一人の人力車夫が、人々の間で大きな話題となっていました。その男の名は通称「金時(きんとき)」。彼はただの人力車夫ではありませんでした。
金時はその驚異的な健脚から「韋駄天(いだてん)俥人」と呼ばれ、なんと一日に人力車を走らせた距離が36里(約141.6キロメートル)にも及んだと伝えられています。これは当時の道路状況や人力車という乗り物の特性を考えれば、まさに超人的な記録です。「東海道一」と讃えられた彼の走りは、新しい交通手段である人力車の可能性を最大限に示し、名古屋の人々に驚きと感動を与えました。
金時の韋駄天ぶりは、文明開化とともにやってきた「速さ」への期待と興奮を体現しており、彼の活躍は当時の世相を彩る伝説的なエピソードとなったのです。
明治5年の名古屋は、新しい味と新しいスピードが交差する、活気に満ちた場所でした。この二つのエピソードは、激動の時代に人々が新しい文化をどのように受け入れ、楽しんでいたかを今に伝えてくれます。