名古屋市は、トヨタグループをはじめとする大企業が集積する「ものづくりの街」として知られています。しかし、この地には近代産業が始まる遥か以前から、日本の歴史とともに歩んできた100年、さらには1000年を超える老舗企業が本社を構えています。
今回は、名古屋市に本社を置く企業の中から、特に創業年が古い超老舗企業ベスト3を深掘りし、その驚くべき創業の歴史と、当時の時代背景をご紹介します。
🥇 第1位:大蔵製盆所(創業:935年頃)
名古屋市で最も古い歴史を持つ企業こそ、まさに**「1000年企業」**です。その歴史は、平安時代にルーツを持ちます。
平安時代から連綿と続く「木地師」の神業
大蔵製盆所は、西暦935年頃(承平年間)の創業とされ、その歴史は1,100年以上に及びます。これは、世界的に見ても最も古い企業の一つに数えられる驚異的な社歴です。
この超老舗が継承するのは、ろくろ(轆轤)を使って木を削り、お盆や椀、皿などの木製品を作る**「木地師(きじし)」**という伝統的な職人業です。
良材を求めて全国を渡った創業の祖
創業当時の平安時代中期は、地方に荘園が広がり、人々の生活様式が変化していった時代です。
大蔵家の祖先である木地師たちは、良質な木材を求めて各地の山々を移動して暮らす、特殊な職能集団でした。彼らは朝廷から移動や伐採の許可を得て、生活に欠かせない木製容器を作り続けました。
大蔵家は、その長い歴史の中で現在の名古屋市中川区の地に定着し、家業を継承しました。現在まで50代にわたり、伝統的なろくろ挽きの技術と精神を守り抜いています。大蔵製盆所は、現代の名古屋において、平安時代から続く職人の技を体現する、極めて貴重な存在です。
🥈 第2位:両口屋是清(創業:1634年)
名古屋を代表する銘菓の数々を生み出してきた老舗和菓子店、両口屋是清。その歴史は、江戸時代初期に始まります。
徳川の世に認められた格式ある菓子司
両口屋是清が創業したのは、西暦1634年(寛永11年)。これは、徳川家光が三代将軍として君臨し、江戸幕府の体制が固まった時期にあたります。
創業地の名古屋は、当時の尾張藩の城下町として整備され、活気にあふれていました。創業当初は現在の熱田に店を構えていましたが、その高い品質が認められ、藩主や重臣に献上する菓子を製造する**「尾張藩御用菓子司(ごようがしつかさ)」**を務める格式高い地位を得ます。
藩主が与えた「是清」の屋号
屋号の「是清」は、その菓子が**「御園御所(みそのごしょ)の儀に相応しき、是清(これきよ)き御菓子でございます」**と藩主から絶賛されたことに由来すると伝えられています。
創業以来約390年間、両口屋是清は伝統の味を守りながらも、現代のニーズに合わせた和菓子文化を名古屋から発信し続けています。
🥉 第3位:岡谷鋼機株式会社(創業:1669年)
名古屋で売上高上位にも名を連ねる大手商社、岡谷鋼機。そのルーツは、350年以上前の金物屋にあります。
武士が商人に転じた「笹屋」の革新性
岡谷鋼機は、西暦1669年(寛文9年)に創業。この時代は、江戸幕府の支配が安定し、都市の商工業が急速に発達した江戸時代前期にあたります。
創業者の岡谷總助宗治は、もとは武士でしたが、名古屋へ移り住み、城下の鉄砲町に**金物商「笹屋(ささや)」**を開業したのが始まりです。
先駆的な「ノウハウ」で全国を制覇
当時の名古屋は金物需要が高く、「笹屋」は打刃物や大工道具などを幅広く揃え、**「金物の事なら笹屋へ行け」**と評されました。
特筆すべきは、創業者がこの時代にすでに、社員の昇進制度や独立支援制度といった、近代的な組織経営の原型を導入していたことです。この進取の気性によって事業は拡大し、「名古屋に笹屋岡谷あり」とその名を全国に知らしめました。
この創業時の進取の気性が、現在のグローバルな複合型専門商社としての地位を確立するDNAとなっています。社名にある「鋼(鉄鋼)」と「機(機器)」は、創業時からの金物商としてのDNAを表しています。
まとめ:名古屋の歴史は老舗企業が築いた
名古屋市には、大蔵製盆所のように1000年を超える伝統を今に伝える木地師の技があり、両口屋是清のように格式高い歴史を持つ食文化があり、そして岡谷鋼機のように創業の精神をグローバルに発展させた商社の知恵があります。
これらの老舗企業は、ただ古いだけでなく、変化の激しい時代を生き抜くための確固たる技術と哲学を名古屋の地に根付かせた、貴重な財産と言えるでしょう。名古屋を訪れた際には、これらの企業の歴史と、そこで生まれる製品やサービスにぜひ注目してみてください。