日本初のEV車
I. 幻の輸入車「ビクトリア号」:日本のEV史の夜明け
日本の電気自動車(EV)の歴史は、今から120年以上も前の明治時代に始まります。最初に記録に残るのは、1900年(明治33年)にアメリカから献上された輸入車、「ビクトリア号」です。
しかし、この高性能なEVは、当時の日本が直面する大きな壁にぶつかりました。それは、インフラの未整備です。EVを動かすための直流電源がなく、充電すら困難だったのです。さらに、テスト走行では皇居のお堀に落ちるという逸話まで残され、技術が時代に先行しすぎて、実用には至らなかった「幻のEV」となりました。
II. 逆境が生んだ国産EV「たま電気自動車」
それから約半世紀。日本は第二次世界大戦後の極度のガソリン不足という新たな国難に直面します。この窮地において、再びEVに光が当たります。航空機メーカー・立川飛行機の高い技術力を持つ技術者たちは、余力のある電力に着目し、1947年(昭和22年)に**日本初の本格的量産EV「たま電気自動車」**を誕生させました。
この車は、まさに「自力で道を拓く」日本の精神を体現していました。「ビクトリア号」の時代とは違い、彼らは国産の技術と工夫で、重い鉛蓄電池をカセット式で搭載し、走行距離を確保。初期モデルの航続距離は約65kmでしたが、改良型の「たまセニア」では約200kmを達成しました。この性能は、当時のタクシーなどにも採用され、戦後復興を支える重要な「足」となったのです。
III. 70年の技術革新:未来を駆ける「bZ4X」の到達点
そして現代。EVは「たま」の時代とは比べものにならない進化を遂げました。トヨタの最新EV、SUVモデルの「bZ4X」との比較を通じて、その技術的な隔たりを見てみましょう。
「たま電気自動車」が主に都市内での移動(最高速度約35km/h)を目的とし、航続距離も最大200km程度だったのに対し、「bZ4X」は、最大746km(WLTCモード・FWD)という圧倒的な航続距離を誇ります。これは、長距離移動の不安を完全に払拭し、日常からレジャーまで、移動の自由度を根本から変えました。
この進化の背景には、バッテリーが鉛蓄電池から高効率のリチウムイオン電池に変わったことにあります。「bZ4X」は、バッテリーを床下全面に敷き詰めるBEV専用プラットフォームを採用。これにより、広い室内空間と、モーター駆動による静かで力強い、なめらかな加速性能を獲得しています。さらに、災害時に電気を家庭に戻すV2H機能に対応するなど、車が社会インフラの一部となる機能まで発展しました。
明治、昭和、そして令和。日本のEVの歴史は、インフラの壁、資源の壁、そして環境の壁を乗り越えようとする、技術者たちの情熱と創意工夫の物語と言えるでしょう。