三河の代表的な手土産といったら藤田屋のおおあんまき
今や本店のある知立だけでなく名古屋でも手軽に手に入れることができるモチモチの食感が人気のお菓子だ
藤田屋で有名な知立(ちりゅう)だが江戸時代には池鯉鮒(ちりふ)と表記されていたことは有名だ
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東海道の宿場町として栄えた池鯉鮒宿
宿場町の近くに鯉や鮒が泳ぐ池があり、それを語源として池鯉鮒と名付けられ、そしてそれが明治時代に転訛して知立になったというのが一般的な説ではなかろうか
しかし知立神社の表記は池鯉鮒ではなく知立であることに疑問をもった
式内社で三河国二の宮と称される知立神社の創建は第12代景行天皇の時代に日本武尊が東国平定をした際、建国の祖神彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依比売命(たまよりひめのみこと)、神日本磐餘彦尊(かむやまといわれひこのみこと)の四神を奉斎したのが始まりという
池鯉鮒大明神とも呼ばれる知立神社だが、仁寿元年(851年)に文徳天皇が記した書に知立の表記を見つけることができるという
刈谷藩主も年に3度も参拝するという由緒ある知立神社から知立という地名になったのだが、江戸時代に宿場町の名産品のコイ料理やフナ料理から池鯉鮒宿という表記に転訛したという説が正しいのだろう
そして明治時代になり池鯉鮒から元の知立に戻ったというのが現在の定説となっている
池鯉鮒大明神はマムシよけで有名な神社で、昔は東海道を往来する旅人たちによる蝮除け祈願の参拝が絶えなかったそうだ
現代ではよほど山奥に行かない限りマムシに襲われることは少なくなったが、昔はあらゆるところに毒蛇であるマムシが住みついていた
マムシ除けといえば他にも名古屋市千種区にある晴明神社も有名であるので、当時の人たちにはマムシ除けのご利益は大変貴重なものだったに違いない
マムシよけの起源は嘉祥3年(850年)に慈覚大師という高僧がこの地を訪れた時にマムシに咬まれて命を落としそうになったが、池鯉鮒大明神に祈願をしたところたちどころに治癒したという言い伝えから全国に広まったという
知立神社の多宝塔は神宮寺の名残であり、明治元年の廃仏毀釈の折に本尊や仏壇を神社の文庫に隠して破却の難を逃れたという
創建は850年であるが現在の多宝塔は1509年に再建されたものである
それでも500年以上前の歴史ある建造物である