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第二次大戦末期に本土決戦に備えて新たな戦車を日本軍は開発していた。
それが、「四式中戦車チト」だ!
しかし1945年8月15日に終戦を迎え、四式中戦車チトはたった二両を試作しただけでその役目を終えてしまった。
その後、アメリカ軍に見つかることを恐れた日本軍は陸軍の大平少尉に命じて猪鼻湖に戦車や接収したイギリス軍の兵員輸送車などの機密を沈めてしまった。
浜名湖北西部に猪鼻湖という湖がある。旧三ヶ日町(現在の浜松市)というところだ。三ヶ日ミカンが有名なこの町では戦時中は本土決戦に備え、4000名にも及ぶ一大旅団、独立戦車第8旅団の司令部が置かれていた。
本土決戦に備え遠州灘の守りを担うためだ。
しかし1945年8月15日に終戦を迎え、状況は一変したという。
全国各地で戦時中の機密をアメリカ軍に見つかる前に処分する動きがみられた。
ここ猪鼻湖でも三両の戦車をアメリカ軍に見つかる前に処分が命じられた。
これに関しては地元の幻の戦車調査プロジェクトが詳細を記録している。
旧日本陸軍司令官当山弘道中将により、地元出身の整備隊班長に処分命令が下り、チトを含む戦車など3両が猪鼻湖に沈められた。
古老の記憶を頼りに猪鼻湖では大規模な調査が行われた。
金属探知機を使い湖底を調査したり、ダイバーが潜って探索したりした。
湖底に金属反応が何度かみられたが、戦車チトではなかった。
戦後70年以上たち、湖底に周辺から土砂が流入して沈められた戦車がヘドロの奥深くに沈んでしまっている可能性が高い。
実際に浅瀬に沈められていたイギリス軍の兵員輸送車は土砂に覆われる前にスクラップ業者が引き揚げて持ち去られてしまったそうだ。