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加藤清正公の大きな銅像が迎えてくれる彫刻の森。平成9年(1997)に名古屋能楽堂がオープンしたときに一緒に整備された噴水広場だ。
その奥にひっそりと不思議なモニュメントが存在する。昭和50年代にはすでに存在していたモニュメントである。いつからここにあるのかを調べてみました。
能楽堂がある場所は江戸時代には尾張藩士である志水甲斐守の邸宅であった。志水甲斐守は明治維新後、百三十四銀行の頭取になりその後は名古屋市第2代市長に就任した。
また志水甲斐守邸の車寄せという門は現在名古屋市西区児玉の旧家に移築された。名古屋大空襲による戦火をまぬがれ現在でも使用されている。
その志水甲斐守の大邸宅の跡地は現在は名城公園の一部となり、彫刻の森や能楽堂が建てられている。
この不思議なモニュメントは大正15年(1926)に建てられたと伝わっている。現代アートに通じる芸術的なモニュメントが大正時代に建てられているというのが一番の驚きだ。
下部には『古代文字の美』という銘も残されている。石でできた本体には象形文字のような古代文字がびっしり刻まれている。
この石碑の近くには東南アジアや仏教にも通じるような石塔もあり、そこには梵字のような文字が刻まれている。
彫刻の森の一番奥、名古屋能楽堂の裏手にひっそりと佇んでいるので、名古屋城に観光に来たついでに是非とも見つけて欲しい。
わざわざこのモニュメントを見にくる人はほとんどいない。しかし大正時代に建てられたこの石塔には何か意味があるはずだ。レアな観光スポットなので話題にのぼることも少ないが一度見ておいて損はないだろう。
名古屋キャッスルから名古屋城正門前へ向けて歩いていけば数分で到着する。地下鉄市役所駅から歩いてきても7〜8分で着くので、きんしょち横丁でご飯を食べるついでに立ち寄ってみよう。
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