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天保4年(1833)、熱田神宮近くの七里の渡し(別名・宮の渡し)沖の開拓地である熱田新田に突如として一匹のゴマフアザラシがあらわれた。
平成14年(2002)に東京と神奈川に流れる多摩川にあらわれたタマちゃんフィーバーを覚えている人も多いだろう。
そのタマちゃんフィーバーに負けず劣らず当時の尾張藩城下町でのアザラシ騒動は凄まじかった。
日置村の漁師によって捕らえられたアッちゃんはその後、大須にある清寿院に預けられた。
清寿院は尾張名古屋の三名水のうちの一つに数えられる『清寿院の柳下水』で知られている。
明治時代に起こった廃仏毀釈により廃寺となり、現在では大須商店街の中に井戸跡が残っている。
清寿院には他にも那古野山古墳が境内にあり、現在では公園として親しまれている。名古屋市内で最初にできた市民公園でもある。また、江戸時代には大須の富士浅間神社の観音寺としても知られていた。
当時の清寿院の境内では芝居・見世物小屋が出ていて非常に賑わっていた。アザラシのアッちゃんは、清寿院の境内の見世物小屋で『お手』や『寝転び』などの芸を披露するまでになった。
当時の日本人にもアザラシは非常に珍しいものであったので、清寿院の見世物小屋には入りきらないほどの見物客で賑わった。
大須観音の縁日では人形が売り出されたり、着ぐるみを着た大道芸人が現れるなど名古屋城の城下町はアザラシフィーバーで大騒ぎであった。
この事は愛知県弥富市の旧家である服部家住宅(荷之上城)に残されている古文書にも記録されている。
一芸を披露するアザラシは多くの人々を楽しませることとなったが、環境の変化によるストレスのためか突然死んでしまった。
しかしその亡骸は塩漬けにされ見世物小屋でしばらくの間、披露されていたという。