京都を追われた花山天皇に従って同じく都を追われた陰陽師の安倍晴明とその一族。遡ること更に100年、同じく無実の罪で九州太宰府へ流された菅原道真公を儚く思い上野天満宮を建てた。
目次
名古屋三天神のうちのひとつ上野天満宮。
学問の神様を祀っているので受験生に人気の神社だ。
名古屋市千種区赤坂町4-89
名古屋市営地下鉄 砂田橋駅より約1キロ
名古屋市営バス 谷口バス停より約500m
どちらも5〜10分ほど歩くだけで上野天満宮まで到着する。
駐車場も境内と神社前に2ヶ所整備されている。合わせて30台ほど停めることができる。
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
京を離れるときに詠んだ歌は菅原道真の代名詞ともいわれている。
宇多天皇と醍醐天皇に仕えた菅原道真だが、醍醐天皇を廃立して斉世親王を擁立しようと流言をながされた。
その結果、醍醐天皇に九州太宰府へ左遷させられてしまった。
結局、京に戻ることなく九州太宰府で一生を終えた。
菅原道真公の死後、都では異変が相次いだ。
太宰府へと左遷されることとなった原因の人物たちに災いが相次ぎ菅原道真の祟りではないかと噂された。
また、都に落雷が相次ぎ菅原道真の政敵たちが何人も亡くなった。
祟りを鎮めるために菅原道真が亡くなった地に太宰府天満宮を建てて菅原道真公を祀った。
祟りと言われた落雷にちなみ菅原道真を天神さまとして祀り、その後学問の神様として崇めるようになったという。
その後100年間ものあいだ、落雷による祟りを鎮めるために菅原道真を祀るための天満宮が全国いたるところに建てられた。
上野天満宮も菅原道真が亡くなってから約100年後に建てられているので、安倍晴明や一族にもそうした崇拝があったのではないだろうか。
菅原道真と同じように都を追われた安倍晴明。花山天皇に従って尾張国へやってきて狩津郡上野邑(現在の名古屋市千種区清明山)へと居を構えた。
現在の上野天満宮とは目と鼻の先の距離である。
そこで安倍晴明とその一族は自身と境遇が重なる菅原道真を偲んで上野天満宮を建立したという。
安倍晴明がかつて住んでいたところには現在では晴明神社が建立されていて安倍晴明が祀られている。
菅原道真公を祀る名古屋三天神をすべて廻る三天神参りにて絵馬を奉納すると学問向上の念願が成就するという。
晴明殿には合わせて九柱の神様が祀られている。
上野天満宮と晴明殿のふたつの御朱印を拝受することができる。
近くには晴明神社もある。
ここは安倍晴明を祀っている神社だ。
安倍晴明といえばフィギュアスケートの羽生結弦選手が生まれ変わりともいうべき存在ではないだろうか。
晴明神社は宮司さんが常駐していないので注意が必要だ。
火木 13:00〜16:00
土日祝 10:00〜16:00
以上が社務所の空いている時間だ。
View Comments