名古屋高速を使っている人なら聞いたことのある新洲崎ジャンクションの真下にある神社。かつては名古屋二大祭りの1つである天王祭がひらかれていた。
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名古屋市中区栄1丁目31番25号
かつて名古屋の南側は大半が海であった。
現在の洲崎神社の辺りがちょうど入江の湾のようになった海岸線であった。
この地に石神が祀られており、平安時代初期にはスサノオノミコトが奉斎され広井天王・牛頭天王とよばれていた。
明治41年に鎌倉時代から700年続く二社家である石神神社と広井天王社が合祀され洲崎神社となった。
名古屋城築城以前は現在の中区栄1丁目全域を社地にもつほど広大な敷地であった。
名古屋城築城後は社地が武家屋敷となり徐々にせばめられていった。
名古屋城築城後の堀川掘削工事後は皇室、公家、徳川家との関係も深く奉納も多かった。
当時の代表的な貴重な史料でもある尾張名所絵図、享禄絵図、名所扇絵にものっている。
慶長以前は旧暦6月の1ヶ月にわたり近郊の村人たちが提灯を奉納して明かりをつける『洲崎のちょうちん祭り』が行われていた。
享保16年からは徳川宗春公の命により名古屋繁栄をねがって堀川を名古屋城前の幅下御門から洲崎神社前まで下る『広井船祭り』が明治初年まで続けられていた。
ちょうちん祭りと船祭りが洲崎の天王祭の見どころであった。
江戸時代の名古屋の二大祭りといえば『東照宮時代祭』と『洲崎の天王祭』であった。
鳥居くぐりと縁結びが有名である。
大人がくぐれるかどうかの小さな鳥居がありそれをくぐれれば願いが叶うと言い伝えられている。
恋の絆にも御利益があるが、親子の愛の絆や人と人との出会いの絆にもたいへん御利益があると言われている。
神社の奥にはさらに蛇と龍を祀った白龍龍壽大神さまの祠がある。
中に入ると名古屋のビジネス街の一角にあるとは思えないほどの雰囲気でいかにも何かが祀られているという感じであった。
中に祀られている蛇の石像はまるで生きているかのような存在感だ。
ぜひ一度足を運んで実際に感じてほしい。
こちらは家内隆昌と商売繁昌に御利益があるという。
名古屋高速を使っている人なら名前は聞いたことはあるだろう。
名古屋のビジネス街の一角にあるのを忘れてしまうほどの静寂に包まれる。
かつてあの辺りに広がっていた広井村を支配していた中村氏の居城でもあった廣井城跡でもあるそうだ。
その後の堀川掘削の始まりの地でもある。
名古屋の街づくりの基盤となる重大な工事に影響を与える場所であった。
みどころは満載だが、特に白龍龍壽大神さまを祀った祠は是非とも行ってほしい。
パワースポット的にも非常に御利益がありそうだ。
ビジネス街のなかにあるだけあって駐車場はなかった。
しかし近くにコインパーキングが多数あったので、そちらを利用することをオススメします。