戦国時代の戦禍により退廃していたが、尾張藩主第2代徳川光友公により再興。その後、名古屋市中の鬼門鎮護を役割として鎮座する。
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名古屋市東区徳川2丁目13番26号
創建は西暦512年、第26代継体天皇の時代だと伝わっている。
尾張国山田郡片山郷(現在地)の地に鎮座していて、当時の社名は大曽根八幡社といった。
しかしその後に戦国時代の戦禍を受けて退廃し熱田神宮に預けられていた。
徳川幕府の時代となり、平和な世の中が戻ってきた。
尾張藩第2代藩主である徳川光友公が元禄8年(1695年)に大曽根別邸(現在の徳川園)を建てられた折に一緒に再建された。
徳川源家の氏神様として再興され国中繁栄、鬼門除け祈祷を司る社として徳川家の庇護の下、現在にいたる。
昭和32年には隣接する神明社を合祀して社殿を新たにした。隣接していた大曽根神明社とは明治時代の名古屋に鎮座していた明治名古屋四十社のうちの1つであった。
神明社は近くの赤塚神明社も有名だが、こちらは当時は山口神明社と名乗っていた。
八幡さまとは平安時代のころから源氏一族の氏神さまとされ、戦いの神として武家からの信仰があつかった。
その八幡さまを祀る八幡宮や八幡神社が各地の武家の手により保護されてあつい信仰を受けていた。
瑞龍公とは徳川光友公の別称である。
その瑞龍公の直筆の扁額や棟札が今も残されている。
更に瑞龍公による再興前の大曽根八幡社の銘がはいった鏡も残されているという。
また徳川光友公は領内の大洪水を鎮めるために一宮市にある堤治神社へも参拝へ出向き、常夜灯などを寄進するほど信心深い藩主であったと伝わっている。
歩いてすぐのところに『徳川園』がある。
尾張徳川家の別宅があったところで現在もとても手の行き届いた庭園や尾張徳川家の美術品などを展示している徳川美術館も併設されている。
近くの御朱印がいただける神社は六所神社や学業の神様を祀る上野天満宮や安倍晴明で有名な晴明神社などがある。
徳川家の別宅があるような地域だけあり、付近は高級住宅街となっている。
そんな好立地でありながら片山八幡神社は駐車場スペースが数台ながら確保されているのはありがたい。