桶狭間の戦いに勝利したのち、織田信長によって千本の松が植えられた。後に千本松日置八幡宮とも呼ばれていた。ちなみに近くにある名古屋市中区松原の地名の由来はこの千本松からきているという。
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名古屋市中区橘1丁目3番21号
創建は不明。
平安時代に編集された延喜式神名帳に尾張國愛智郡日置神社との記載があるほどの歴史ある神社。
日置神社の社名の日置や近くにある日置という地名は、かつてこの地に暦を司る『日置部』と呼ばれる人々が住んでいた為とも言われている。
桶狭間の戦いに出陣する折、清洲城をでて美濃路を通り名古屋市西区にある榎白山社に参拝、その後日置神社へも戦勝祈願をし、そして熱田神宮へと赴いた。
それは何故かと調べてみた。
桶狭間に向かう途中に時間をかけてあらゆる願掛けをして戦いに向かっていったとされる。
その甲斐あって見事戦いに勝利することができた。
その後、熱田神宮へは信長塀と伝わる塀を、そして日置神社へは奉賽としてこの地に松を千本植えたと伝わっている。
塀は今でも熱田神宮の中に残っている。
松は明治時代までは残っていたが明治29年に最後の一本が枯れてしまったと記録に残っている。
織田信長も戦勝祈願に訪れたほどのご利益が期待できる。
武運長久・勝運・災厄除け・開運招福にご利益があるとされている。
もちろん織田信長によって実証済みという素晴らしい御利益だ。
古い町並みの中にある神社ではあるが、敷地はかなり広く静かな印象であった。
歴史ある神社でありここに織田信長もきたと思うと気持ちも高ぶる。
残念ながら車を停められるスペースは神社内にはない。
しかし目の前にコインパーキングがあるのでそちらを利用するのがおススメです。
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