『津軽海峡・冬景色』が大ヒットした石川さゆりさんと未来の横綱候補の正代関の祖先が名古屋城の石垣に関係していた!?
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ふたりとも熊本出身で親戚であるとお互いが明言しています。
正代関の母方の祖母の兄の奥さんの妹の娘が石川さゆりさんだという。
豊ノ島関からはほぼ他人といじられている。
大相撲時津風部屋に所属する力士で最高位は西関脇まで登りつめている。史上2位タイのスピード出世である。幕下十両と優勝を重ねて幕内でもそろそろ優勝に手が届くところまできている。超ネガティヴ力士としても有名。座右の銘は「現状維持」。
令和初めての名古屋場所では前頭三枚目での出場となっている。
38年ぶりの横綱大関で話題の大阪場所では西関脇への復帰が叶った。
四股名の「正代」は本名である正代直也からとっている。また祖母は正代正代(しょうだいまさよ)さんという。
正代家はもとは加藤清正公に仕える武家の流れをくむ。当時は小代(ショウダイ)と名乗る。
加藤清正といえば、尾張国中村の生まれで豊臣秀吉とは幼い頃からの仲である。
現在の豊国神社のとなりの妙行寺があるところで生まれたと伝わっている。
その後の武功により、熊本の地を任せられ熊本藩主として戦国の世を生き抜いていった。
加藤家から細川家に藩主が変わったが正代関のご先祖は熊本藩士として幕末まで活躍。
その後、正代家として現在に至る。
直系か傍流かは不明だが小代家の流れを組むことは名前からしたら間違いないだろう。
徳川家康が慶長14年(1609年)に駿府において名古屋城築城と清須からの遷府を決定。
これは豊臣方との緊張が高まってきたために大坂からの防衛線の強化のためでした。
慶長15年(1610年)名古屋城普請が始まる。
治水工事や土木工事を得意とする加藤清正が名古屋城の石垣を積むのに大活躍をした。
その時に石垣を積んだのが加藤家家臣の小代家の一族だったのではないかと言われている。大相撲の正代関をみていれば、石垣を積むような力仕事は得意分野だったのだろう。
小代家の活躍により加藤清正は石積みの名人と言われ、名古屋城には今も銅像が建てられるほど讃えられている。
この巨大な石も石川さゆりさんや正代関のご先祖が運んだのではないかと想像してしまう。
実際はこのあたりの石垣は黒田家の担当だったのだが、加藤清正の石積みがあまりにも有名なので清正石という名がつけられている。
意外なところで有名人たちが名古屋城に関係している。
是非とも名古屋場所では正代関には優勝目指して頑張ってほしいものである。