ずっと名古屋城の牢屋だと思っていた。子供の頃に遠足とかで名古屋城に行くと必ずみんな中に忍び込んで遊んでいた。(昔は普通に中に入れた記憶‥)
となりに立て看板があって説明書きがしてあるが、そもそも子どもたちは読まない。名古屋人はみんな、牢屋だと思いこんでいたはず。
[石棺式石室]
島根県松江市山代町にあった団原古墳の石室で、本来は床石があって、手前に羨道(石室への通路)を備えていた。古墳時代後期のもので出雲地方独特の横穴式石室である。
寄贈者 名古屋市 長谷川祐之氏
↑子どもはこんな文を読まずに石の建物のインパクトだけで、勝手に江戸時代の盗賊とか落武者とかを幽閉していた牢屋だと勘違いしていた。思い込みって素晴らしい!
僕も知ったの最近だし。気づいたキッカケは名古屋城に初めて行くって人を連れて行った時に『この向こうに牢屋あるよ。見たい?』ってドヤ顔で連れてったら古墳時代の石室って書いた看板があるじゃない。
名古屋人はみんなこんな感じで気づくっていうあるある話。
でも寄贈した人って元々はこの石室を島根県から自宅に移築してたのか?そうだとしたらかなりのお金持ちか物好きか‥。