名古屋城の建物で空襲で燃えなかったもののひとつ。
名古屋城築城当時の物ではなく、明治時代に名古屋鎮台と呼ばれていた陸軍歩兵第6連隊が置かれていた時の火薬庫。
乃木希典将軍がいた頃に作られたのが名前の由来。明治5年(1872)前後に建てられたもので愛知県の登録文化財にもなっている。
本丸御殿などに置かれていた障壁画などはこの乃木倉庫に戦争中に移されていたから戦火を免れた。
天守閣や本丸御殿は焼けたが、たまたま乃木倉庫や西南隅櫓は焼けずに済んだので、貴重な障壁画1,047面は後世に残った。それをさらに復元して今回建て直した本丸御殿に展示してあるということです。
過去には内部を公開したこともあるそうなので、またいつか公開してくれると思います。こういう古い建物は意外と耐震性があるのかはわかりませんが、過去の大震災や大災害を乗り越えてきているので見直してみるというのが良いかと思います。