【金鯱が降ろされた名古屋城天守閣】明治4年の廃藩置県から明治11年まで金シャチのないお城だった
『尾張名古屋は城でもつ』と言われた名古屋城だったが、廃藩置県により天守閣をはじめとする全ての敷地、建物が明治新政府に接収され国有化された。
明治維新後の名古屋城
慶長15年(1610)徳川家康によって築城された名古屋城。
徳川御三家筆頭である尾張藩最期の藩主、徳川慶勝の尽力により明治維新の戦火を被ることなく維新の黎明をむかえた。
しかし廃藩置県により社会情勢は一変し、旧物破壊が盛んにおこなわれ、名古屋城もその標的となっていた。
金鯱の降ろされた名古屋城
旧物破壊の波が各地を襲い、江戸時代に建てられた諸藩の天守閣は旧い時代の象徴として敵対視され破壊されていった。
尾張藩は廃藩置県の前年の明治3年12月に明治新政府に金鯱を天守閣から降ろすことを申し出た。
上の画像は金鯱のない名古屋城をうつした貴重な写真である。
天守閣から金鯱を降ろさせ、金鯱のない名古屋城を庶民に見せつけることによって明治新政府は力を誇示し、皮肉だがそれが旧物破壊の波から天守閣を守ることとなった。
金鯱の行方
明治4年2月に金鯱引きおろしの内命が明治新政府よりあった。
明治4年4月7日南方雌鯱が、4月14日北方雄鯱が降ろされ別々に車台にのせられた。
4月16日には熱田港より蒸気船知多丸によって東京へと運ばれ宮内庁へ献納された。
その後の金鯱
宮内省に納められたのち明治5年3月東京湯島聖堂での日本最初の博覧会での目玉として出品され大いに話題となった。
その後、全国各地の博覧会で展示された。
さらには墺国(オーストリア)ウィーンで開かれた万国大博覧会にも出品され世界を驚かせた。
名古屋城の天守閣に戻るとき
金鯱のない名古屋城はどこか気の抜けた無意味な存在のように思えた。
地元名古屋では金鯱を名古屋城天守閣へ戻すための官民の呼びかけが次第に大きくなっていった。
世間でも名物保存の動きがではじめたころである。
そうした動きの中、ついに明治11年に名古屋城の城頭に金鯱が戻ってきた。
短い間ではあったが名古屋城天守閣には金鯱が鎮座していない時期が確かにあった。
